2013年12月06日

感銘を受けるべき本で感銘を受けられないねじけたこころ

今朝は8時起床。早起きをしたかったのだが、どうしようもない眠気に襲われて起き上がること能はず。
起き上がってからは水槽の水替えや洗濯、部屋の掃除を行う。それから各種課題に手を付けていかねばならないのだが、悲しいかなやる気が湧かない。寝起きが悪かったのだから無理もないものかと半ばあきらめモードで、論文読解は電顕バイト後に回すことにし、日中は読書の時間に充てる。

さて何を読んだのかと言うと『青年の大成』というものである。少し前にtwitter上でとあるブログを発見し、これを見ていたら感じるところがあった。強いメッセージに触発されて、この管理人が推薦している本をここぞとばかりに買いあさったわけであるが、まず読んでみたのがこの本である。
なるほど確かにアツいメッセージが込められていること、その主張の尤もらしいこと、人間の妙を捉えているような感じはひしひしと伝わってくるのだが・・・う~む、魂が揺さぶられない。中島義道本を読んだ時、Игорьの講義を初めて聞いたとき、Mお嬢の合宿参加から帰阪に至るまでの顛末のようなゆさぶりを得ることはならなかった。まあИгорьも昨日「本をどう解釈するかは皆さんの自由」と言ってロシアへ旅立っていったのだから、多くの人に感銘を与えたとされるこの名著を前にして心が揺さぶられることが無かったとしても、それが直ちに自分の人間性の欠陥を意味することは無いのだろう。ただ、著者からしてみれば、若者に向けた心からのメッセージが、当の若者自身の胸に響かなかったとしたら結構悲しく感じるのだろうなあ。そう思うと、大教室でほとんどの学生が聴いていないような状況で淡々と話し続けねばならない大学教員はつらいのだろうなあ…

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明日はやどけんで葛西臨海水族館に行く企画があるのですが、610は課題があるため参加を見送ります。しかしながら、一人でひっそりと、宝篋山訪問100回記念祝賀会でも開こうかと画策中です。11月は全てやどけんの企画として行動していたので、久々に単独で宝篋山を味わいたいところですが、その余裕は果たしてあるのだろうか…

昨日、nの矢学生宿舎の共同浴場が今年度いっぱいで廃止になる旨の通達がありました。一の矢に住んでいたころには棟内にコインシャワーが設置されておらずよくお世話になったものですが、二の矢に移ってからはもっぱらコインシャワーを使うようになりました。浴場内では湯船の温度が不安定であったり、シャワーのお湯があまり暖かくなかったり、或いは冬場は大変寒かったりすることもあって使い勝手が良いものではありませんでしたが、確かにほとんどの棟にコインシャワーが設置された現在、好んで条件の悪い浴場を使う必要は無いでしょうね。

未だにnの矢に住む610としては、こうやって設備が縮小化していくことで人気が無くなり、静かなnの矢の森が創成されていくのだとしたら歓迎すべきという、マイノリティからの迎合をも絶対に得られないような意見をもっていますが、大半の学生からすえば、そういうことは学生の居住権を侵害するとか、nの矢がどんどん不便になるとか言って反対したくなることのようです。
これに対して610は「え? 不便になるの? 何が?」という感じがします。だって、シャワーは浴場と違って24時間いつでも使えるではありませんか。それに、現状ではシャワーが設置されていない棟があるようですが、流石にそこを見放したまま浴場を潰すこともありますまい。

確かに湯船につかりたい方にとってはダメージが大きいのかもしれませんが、610は10月に一度浴場に行ったときの光景にショックを受けたこともあり、湯船に入れなくなることが大して心に響かないのです。今まで長方形の大きな浴場だったところの真ん中に仕切りができて2つに分けられてしまい、片方にしかお湯が張られていなかった光景を目の当たりにしました。この実力行使を前にして浴場に対する期待は全くなくなってしまったのでした。
610はnの矢に3年住んでいますが、大した不便を感じたことはありません。ちなみにnの矢では610が入居する前の年度いっぱいで食堂が廃止されています。この宿舎の周りには飲食店が無く、そのことは多くの人に採って不便らしいですが、学内の食堂ですら未だに一度しか利用したことのない610にとって、普段の食事を外食で済ませるという概念は存在していません。だからこのことを問題と認識することができません。むしろ、宿舎の周りにアパートとかコンビニ、飲食店しかないような状況、ヒトと家屋性の動物しかいないような状況こそよっぽど深刻な問題です!
なんというか、nの矢浴場の廃止に憂いている方は、ぜひ一度現状を見に来てもらいたいものです。この風呂に1年間通い続けることができるかどうか、ぜひ湯船につかりながら思いをはせてみてください。

さて身近な問題に関してこういう意見を持つ一方で、別のところでは反対の意見をもつ610がいることも分かり、深刻な自己矛盾にたいそう困っています。赤字ローカル線だとか寝台特急が次々と廃止されていくことに関しては「採算が合わなくても残しておくべきだ!」などと思っているわけです。
構造としてはシャワーにしろ赤字路線・列車にしろ、採算の取れないものは無くしていくという合理的な提案ですが、それに対して一方ではその必要性の無さを感じていて、一方では無くしていくのではなく建設的な存続を望むという歪んた解釈をしています。困ったものです…


Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)
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