2013年12月31日

年納めの六郷散策

今朝は8時50分起床。早起きしようと思っていたのに眠すぎて断念。とりあえず目を覚ましてからブログの執筆にかかる(追記)。
流石に朝の鳥見は出来なかったので笹螽ヶ原に出向きトノサマバッタたちのもとへ顔出しに出向く。


やってきてほどなく発見。後肢が片方取れてしまっているのが残念だが今日まで生き永らえているのだから素晴らしい。本日はこの1匹しか見つからず。






ホシササキリは成虫幼虫含めて6匹くらい見つかった。耳を澄ませると鳴き声も聞こえてくるのだから面白い。


にらめっこしてみたが、ピントを合わせるのがたいへんだ。


ちらっと鳥見ポイントにもやってきたが、やはり昼間はあまり数が多くないらしく、ほどなく撤退。


その後近くにあるミゼットを見に行く。こんな古臭い車が現役で走っているのだから素晴らしい。ちなみに私が地元にいたころ、しばしば実家の目の前にこのミゼットがやってきて、ベンベンベンベン…という他の車からは聞こえてこない不思議なエンジン音を響かせてやってきたのを確認しては見入っていたことがあった。

どんな音で走るかは、この動画をご覧いただければお分かりになろう。詳細は秘密だが、この動画のどこかに実家が一瞬写っている。しかも今の風景とはだいぶ違っているところも多く、非常に懐かしい。そういう意味でも非常に貴重な動画なのだが、こういうものの価値はおそらく地元の方にしかわからないだろう(旧六郷土手駅の遺構がちらっと写っているあたりは、年配の方か鉄道好きの人にしかわからないかもしれないが)。

いったん帰宅し昼食の後、ヘブライ語の課題に取り組む。和訳に難があるのだが、手元に聖書が無いからチェックできない。

さて15時に再び土手へ出向く。




オナガガモは相変わらず恰好の被写体だ。


まぶしそうなオスの表情がいい。


おじさんから餌をもらっているときのこの顔!


一本足でたたずむセイタカシギと、2本目の足をぶらぶらさせているセイタカシギ。




セイタカシギとは趣の異なるシギ。アオアシシギだろう。おねむの様子だがなかなか寝付けないようで眼はずっと開いていた。


テトラポットの上にたたずむアオアシシギとセイタカシギ。

鳥見を切り上げ、大晦日の夕陽の撮影に出向く。昨日よりも富士山がかすんでよく見えず不安だったが、陽が沈んでいくにつれてよく見えるようになった。


ここは六郷ではなく大師河原と呼ぶのが相応しいところで、富士見のポイントだったりするのだが、潮が満ちていると色々な制約があってあまりよく写せないのだが、本日もご多分に漏れず満潮に近い時間帯だったのでご覧のとおりである。


誰も来ないだろうと思っていたのだが、おじさんがやってきた。まあ初日の出よりは圧倒的に人が少ないのだから気にすることもなかろう。ただ、こういう場所で一人夕焼けを見るのは非常に心地よいことでもある。

~・~・~

というわけで、夕食後は六郷温泉でゆっくりしてから、テレビを一切見ないでとっとと寝てしまおうと思います。
初日の出は人が多いので今年はパスするかも知れません(なんというか、撮影意欲が湧かないのでまず起きられないでしょうね)。とりあえず元旦ラベルにある昆虫の採集には出向こうと思います。あとは・・・ロシア語でもやっていようかなあ・・・  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月30日

六郷土手散策のすすめ

今朝は8時40分ごろ起床。何となく荷造りを始めながら過ごす。来年度はつくばに住むことは無いので、帰省できる時にいろいろ持ち帰っておきたい。ひとまずはかさ張るだけで重くはなく、しかも菅平では着用する頻度が減るであろう半袖類を持ち帰ることに。で、気が付いたのだが我が部屋にはズボンがえらく少ない。大学生になってから購入していないのではなかろうかと思うほどである。

年末年始はバスが大学中央まで乗り入れてこないのでセンターまでの移動を強いられるのだが、路線バスも高速バスもそんなに混んでいなくて快適であったのだが、道中とんでもないものを見つけてしまった。綺麗なロードキル(ウサギorネコ)が横たわっているではないか! 全ての意識がロードキル個体に注がれてしまい、帰省するのも延期しようか、或いは回収するためだけに東京駅から再び戻ってこようかと本気で考えたほどである。一応場所は伏せるが(まあつくば号のルートを知っている人にとっては伏せる意味もないのだが)、そこまで人通りの多い場所ではないし、時期柄清掃業者がやってくるとは考えにくい。あとはライバルが持ち去ってしまう可能性だけが懸念材料だが、私がつくばっくするまでにそこにあってほしいものだ。おそらくあれはかなり状態が良い。2014年解剖ことはじめにうってつけの材料であろう。
というわけで、2日のつくば号の始発で帰ることを心に固く誓った。
※この後都内でドバトが死んでいるのも発見。回収・解剖ができない状況下で死体レーダーが働いてしまってもむなしいのだが、トリの解剖は未経験なこともあって、バスの窓に文字通り貼り付けになってその様子を眺めていた。ちなみにこのハト、あわれに思ったおじさんが植込みにどかしていたのだが、違う! 植込みではなく私によこすべきだったのだ!
30日とはいえども東京駅の人ごみは多く、しかもさっきのロードキルのこともあって実に帰省したくない欲が高まるのだが、荷物のことを考えると帰る方が圧倒的に都合が良い。大人しく帰っていくのだが、品川駅で切符を落としてしまった。たぶんポケットにしまおうとしてポケットに入らず地面に落ちてしまったのだろうが、追加料金は取られてしまうのだろうか。とりあえず領収証を見て駅員さんに事情を話したら、「教は大丈夫です」との回答をもらった。余計なお金を払わずに済んだ点で良い対応をしてもらえた。

さて帰宅してしばらくしてから土手へ繰り出す。いつも鳥見といえば朝にやっていたのだが、思えば15時ごろに外に見に行った経験はなかった。そして、今まで朝にしか鳥見をしてこなかったことを悔いたのであった。


とりあえず六郷土手ではお馴染みのオナガガモのお出迎え。つくばでは考えられない位近くで観察できるのは、餌付けされているからだろう。


人間に対する警戒心があまりないので、特別な装備が無くても画角いっぱいにカモの姿を写すことができるのはずいぶん嬉しいことだ。


自慢の尾が少し切れてしまったのが心残りだが、朝と違って順光で撮影できるのも嬉しいところ。


この場所には地元?のおじさんたちが沢山集っていた。どうやら何か珍しいトリがいるらしいのだが、よく分からない。そのおじさんの中の一人がパンを取り出しオナガガモに与え始めた。これはいかん、間抜けな表情がなんともかわいらしい。


つくばでは見られないユリカモメ。この優しそうな表情がたまらない。


「水辺の貴婦人」の名も高きセイタカシギ。今日見られたのはことごとく頭の黒い若鳥であったが、成鳥は頭も白くなっていっそう気高く感じられる。おじさんたちのテリトリーを超えないと近づけなかったこともあり、拡大はこれが限界であった。


つくばにもいた色違いヒドリガモ(アメリカヒドリ)、六郷にも見参!


ふつうのヒドリガモも沢山いて、水場と土手を行き来しながら採餌していた。で、このヒドリたちをよく見てみると、アメリカヒドリほどではないが若干目のあたりが緑がかっているものが混じっていた。これが典型的なヒドリとアメリカヒドリの交雑種なのだろう。彼らはオナガガモほど人なれしていないのか、あまり近くで撮影することはできなかったのだが、何とかして雑種ヒドリを撮っておきたい。


少し移動したところではキンクロハジロが1羽寂しく佇んでいた。彼(たぶん)もあまり近づいても逃げるそぶりが無く、撮影に協力的だったのがうれしい。


水面付近の水をすくっては、写真のように嘴をグイッと上に掲げる採餌を何度か繰り返していた。


夕陽を浴びて動き出すキンクロ。しばらく追っていたら急に波が強くなってきたのだが、どうやら船がやってきたようだ。


これはチャンス! 六郷水門の現役さを感じられる貴重な機会である。610は15年位六郷に住んでいたわけだが、船がこの水門をくぐっているシーンに出くわした経験がおそらく数回もないのである。最後に見たのは実は大学生になってからで、詳しくは覚えてはいないのだがここ最近のことであることは確か。でもその前というと思い出せないのである。いやはや、トリも沢山見られたし、船が水門をくぐっていくのもみられたし、久しぶりの六郷土手を満喫することができた。

※せっかくなので観察できた種類を紹介しておこう:カンムリカイツブリ・コガモ・ヒドリガモ(含アメリカヒドリ・交雑種)・オナガガモ・キンクロハジロ・セイタカシギ・オオバン・アオサギ・ダイサギorチュウサギ・ユリカモメ・カワウ・ホオジロ・スズメ・ドバト・トビ
※おじさんたちの会話を聞いていると、何やら珍しいトリが来ているらしい。なんだろう。

~・~・~

明日は何をして過ごしましょうか。とりあえず鳥見をしたいところですし、あとは2013年最後の夕陽をとっておきのスポットで撮影したくもあります。日中はトノサマバッタたちのいるエリアに顔出しにも行っておきたいですね。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月29日

ケンムンと相撲取り

今朝は8時半起床。年末でだれているのと、生物学演習に関する連絡が来ないまま正月を迎えることになりそう(いまさら連絡しても応答がないだろう)なので、何かこう逼迫した感じがしないのである。とりあえずカメの水替えをしたり、イモリとシマヘビの冬支度を整えたりする。まあ彼らは冬の間部屋に置いておいても問題ないのだが、世話をするのが面倒なので寝かしてしまおうと思い立ったのである。とはいってもやることはいたって簡単で、宿舎の外で山になっている落ち葉を水槽にぶちまけるだけ(イモリはさらに水を加える)である。そこに生き物たちを投入し、あとはベランダに放っておけばよいだろう。

さて昨日のブログにメモを残して消してしまったことに、「自分と同じくらいの年ごろの男性が、これまた自分と同じくらいの年ごろの女性を「女の子」と呼ぶことの気持ち悪さ」というものがあった。大学生の女性に対して「女の子」というのは何だかヘンな気がするのである。見下しているのではないのかもしれないが、自分と同等の立場であるとは思っていというか、人間性に期待をしていないというか、「女」という性にしか目が向いていないというか、そんなことを思ってしまうのである。
しかしながら、かくいう自分も無意識のうちに「女の子」と言ってしまったことがある。このことについては、言った瞬間から心の底から前言撤回をしたい思いと後悔の念に苛まれているわけだが、何らかのいきさつで女性について説明することを求められたときに何気なく使ってしまう言葉であることも分かる。

もう少し踏み込んでみると、「女の子」と呼ばれる女性にはある特徴があるように思う。端的に言えば容姿端麗であって、多くの人が「かわいい❤」と称賛するような女性が「女の子」扱いされることが多いのではないか。そうだとすると、ますますその人のセクシュアリティにしか関心が無いような気がしてくる。乱暴に言えば、こういう人を自分の奴隷(≒「恋人」)にしたいという欲望の対象として「女の子」と呼んでいるのではないか、などと考えてしまうのだが、もちろんここで最高に気持ち悪いのはその男性ではなく、こんなことを考える610である。

なんというか、気持ち悪いと感じるから止めてほしいとか、もっと適切な言い方があるだろうなどと言いたいのではなくて、「女の子」という言葉が怖いものだなあということを思うのである。男性は女性に「女の子」であることを期待して、女性は「女の子」でいようとする感じが、「女の子」という言葉によって規定されているようで、こうでないと「女の子」にはなれませんよ、という脅しがあるように思うわけである。


そこでこの記事の登場である
あまり上の内容と関係ないようだが、610の中では何かつながっているんじゃないかなという気がしている。

―その後、延々とネットでくだらない記事を読みふけってしまう。あれこれ考えさせられるものというよりかは、この記事を筆頭にして、航空写真的にとてもインパクトのある集落とか知ることのできないお祭がある島のこととか入るためにはみそぎをする島の情報を延々と調べていたり、あとは信ぴょう性はもとより、非常に不思議な風習が根付いている地域のお話を知ったりと、とにかく怠惰な昼下がりを過ごしてしまった。
こういう読み漁りをして時間を過ごすことはなかなかできないので、一度始めたら止まらなくなってしまうわけなのだが、これが結構楽しく、場合によっては実際に現地に行く原動力にもなってしまうことがあるので、時間の浪費という無駄な行為が未来にまで想像されてしまう厄介な代物である。

~・~・~

さて明日は帰省をしようかと思います。実際地元に帰っても部屋は寒いしPCの接続は不調だし、あまり長居したくないのですが、PC関連の作業から離れて過ごせば有意義に過ごせるかもしれません。生き物観察はもちろんですが、鉄道写真も撮りたいですね。あとは多摩川にまだ韓国人の集落が残っているのか確かめたりもしたいところ・・・勉強は生物学関連のことではなく、ロシア語とヘブライ語しかできないかもなあ・・・でも論文1つくらい読んでおけば精神的に余裕が持てるかなあ、でもまだテーマ決まっていないし…と難しいところです。  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月28日

3度目の正直なるか

昨晩は年賀状作成を行ってから就寝。
今回は年賀状を送る意欲が全く湧いてこなかったので、直接連絡をもらった1名にのみテキストベースのものを送ろうかと考えていたのだが、送るからにはくだらないものにしたいなあと思いつつ色々考えているうちに楽しくなってきて、これを1人にしか送らないのは勿体ないような気すらしてきた。
大学で知り合った人たちの中で年賀状をやり取りする習慣はまだ根付いていないので―欲しい人がいたら送りつけますが―必然的に送る対象が高校の同級生や先生方となるのだが、おそらく彼らの中でこんなろくでなしなブログを観ている人はいないだろうし、FACEBOOKはアカウントを凍結しているしそもそも更新していない。twitter上でも殆ど顧みられないような写真しか投稿していないし、メールが届くことはもちろん、送ることもない。つまり、私の近況を知る人はいないのである。
しかし、年賀状を使って高校時代よりもさらに意味不明な現状をしたためた怪文書を送りつけるとは、何という暴力であろうか。私の現状を知らせるということが彼らにとっていかに有害で、不利益で、人生の方向性、指針を失うリスクが大きいことかは答えるまでもなく明らかなことである。おそらく「ふつうの年賀状」を送るだけで解決する問題なのだが、残念ながら610にはできないから困っているのである・・・くだらないことを考えてさっさと寝よう。

今朝は8時起床。何をしていたか忘れる。たぶん大したことはしていない。
昼ごろ、部室に行って解剖セットを取りに行ったり、そのついでに解剖及びロードキル回収用の手袋を購入。
帰宅後「骨接ぎ実習」第2弾、マトダイの骨格標本作りを行う。


今から8か月前、やどけんの新歓活動の最後に行った大洗の漁港で手に入れたマトダイ。1尾300円と大きさの割には安かったが、扱っている店は1つしか見つけられなかった。あまり沢山水揚げされるものではないらしい。
さてこの写真では鍋に入っているが、この鍋はIH非対応のもので、それを承知しつつ無理やりIHで煮ようとしたところ、センサーが反応しないようで何もできなかった。そのためフライパンに水を張り煮たのだが…


やはり顔面が危険な状態になってしまう。これを崩さずに済ませることはどうやら無理そうなので、写真を撮りつつ、左右を混同しないように解体していく。顔面の処理がひと段階してから体幹の除肉を進めていくが、こちらは何とやりやすいことだろう。上下の縁の部分を含めて随分しっかりしていて、多少乱暴に扱っても骨が折れたり取れたりしないのは骨格標本作りを進めるうえで好ましい。


フライパンの上で大まかな除肉を終えてから、バットに写して細かい作業に入る。背骨の上下にはそれぞれ神経と血管が走っている部分があって、そこに残っている破片を取り除くのに難儀したが、きれいさっぱり落そうと思えば落とせるのが救いである。同じ背骨でも、イタチの場合は脂っこい脊髄がどろっと出てきたり、或いはメスやハサミを駆使しても落とせないような緻密な組織がびっしりついていたりしない分、魚の方が除肉作業としては楽かもしれない(その分、顔面を含む組み立てが面倒なのだが…)。


イタチの除肉はかれこれ3日に渡って終えた一方、マトダイはわずか3時間で完了してしまった。とりあえず顔面の細かいところ以外は何とか組み立てられそうで一安心だが、その作業は年が明けてからになりそうだ。

~・~・~

実は本日、高校の同窓会が都内で行われています。ですが610は参加を放棄しました。もっともな理由としては、荒墓の憤死生物学特攻の履修を考えていた時に参加案内が来たからということもありましたが、610が大勢の場で(ひょっとしたらドレスコードが指定されている可能性もある)過ごすことができないということと、高校のコミュニティに対する意識が歪み始めているという裏事情も不参加の意志を後押ししています。もっとも歪みについては先日のやどけん代替え飲みで今以上にくだらない高校生活の写真を見て馬鹿笑いしたことで修復されつつあります―だから年賀状も書きたくなったのでしょう―が、それでもパーティーとか騒がしい飲み会の空気が受け付けられない610にとって参加する意味は無いでしょう。n次会としてどこかで集まっているのなら、それに参加するのも悪くはないなと思ったのですが、都会に行きたくない…

明日はまだつくばでのんびりしていようかと思います。宝篋山に行くついでにロードキル探しをしようかしら…  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月27日

荒墓よりも骨

ブログが消えてしまったのでもう一度書き直す・・・わけにはいかないが、何となく復旧しておこう。

27日は終誅抗議「荒墓の憤死生物学特攻」の履修予定だったが、その必要性と興味が無さそうなことを理由に登録をキャンセルし、その代わりに同じ日程で開催される野生動物研究会開講の「骨接ぎ実習」の履修を行う。第一日目は「ネコの四肢の骨接ぎ」だったが、腓骨と脛骨・頭骨と尺骨しか繋げられず途中で投げ出してしまった。幸いにも担当講師と履修者を合計して1名だったため、その1名が部室から立ち去ったため講義が成り立たずに終わってしまった。
午後から今年最後の電顕バイトに出向き、粛々とシデムシの撮影を行う。

~・~・~

明日は骨接ぎ実習2日目で「マトダイの除肉及び乾燥」を行う予定です。
  続きを読む


Posted by Impulse610 at 06:10Comments(0)

2013年12月26日

部室の闇に消えた第10胸椎

今朝は8時起床。とりあえず生物多様性情報学IIIのノートをまとめ、小テストの文章を創成する。一応、5~10分で授業の要旨を書けばいいことになっているのだが、持込可能なので文章を印刷して解答用紙に貼り付けることができるらしい。ただ、そうして創成された文章を見ると、これ時間内に書ける文量じゃないなあとも思えてくる。まあいいか。

それから博物館学実習のレポート作りを始める。とりあえず、去年の2月に直面した科博の募集要項を見られなかった問題についての怒りをぶちまけることにしたのだが、その意味があるのかはさておき、いま観音崎自然博物館での実習を振り返ると、よくあんな状況に堪えられたものだなあと思えてくる。あのころはまだ哲学カフェの影響が身に染みていなかったのだが、そう考えると、610にはブラックな人間関係に対して甘んじて受け入れる「素養」があり、哲学カフェを知らなければ、社畜のようにボロボロな人生を送る可能性もあったとも思えてくる。もちろん、哲学的な考え方を知ったところで、ろくでなしな人生が続くことには変わりはないのだが…


3限:生物多様性情報学lll
欲しい情報を過不足なく得るための検索方法の質を評価する方法とか、生物情報学に求められる構造について学ぶ。集合の概念というか式変形が登場し、よくよく考えたら6年近くまともな検討を避けてきた610にとっては変形が追い付かないわけだが、図を見ると分かるのが救いである。

放課後は少し買い物をしてから部室でイタチの除肉作業に向かう。結局これが20時近くまでかかってしまった。腰椎・仙骨並びに尾椎の順に除肉を行い、尾椎に関してはばらすのを途中であきらめる。その後の胸椎の処理に時間を食われなかなかつらかった。この部位は茹でても肉がうまく落ちず後回しにしてきたのだが、結局手でしごいて大半の肉を取ってからピンセットやメスで細かい片々を取り除いていく。その際、胸椎を一つ吹っ飛ばしてしまい見つけることができなかった。頭骨と脊椎をつなぐ第一頸椎をおそらくトイレに流してしまっただけでダメージが大きいというのに、また一つ背骨を失ってしまい絶望感が増していく。傷もなく鮮度も抜群な遺体を手に入れられたというのにこういう情けないミスでパーツを紛失するのは無念である。

~・~・~

さて本日をもって今年の授業が終わりました。明日から冬休みです。
明日は午前中部室で骨接ぎ実習をする予定です。午後は今年最後の電顕バイトです。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月25日

果てしない除肉への序章

昨日、非常に大事なことを書きそびれてしまった。
朝起きたら右腕が全体的に痛い。何かと思えば、そう、これは解剖のし過ぎによる筋肉痛なのだ

さて今朝は7時半起床。最低気温が-4.6℃に達し、今シーズン再寒を更新。マイナス4度台に到達したのは初めてである。
支度を整えてから部室に向かい、14時までひたすらイタチの除肉を続ける。


ヘブライ語が始まるまでに全ての除肉が終わるかななどと目論んでいたのだが、これがとても甘かったことが分かる。四肢に時間がかかりすぎて、脊椎には一切手をつけられなかったのだ。しかも、第一頸椎を紛失した可能性が浮上。指先の骨とか肋骨ならともかく、どうしてこんな場所の骨を見失ったのかというと、23日に解剖したときには頭骨と接続していたのだが、それを外した後どうしたのかを覚えていないのだ。可能性としてはネットに収まっていたが、それごと捨ててしまった、ということくらいか。だとすればまだゴミ箱の中に眠っているかもしれない…
そしてネットの中を探ってみたがそこにも無かった。これはまずいぞ…

5限:ヘブル語初級b
答え合わせを行い、重子音動詞(同じ文字が語根の中で連続して登場する)について学ぶ。

ヘブライ語が終わったら部屋には戻らず部室でそのまま作業。片づけする必要もあるが、せめて頸椎・腰椎あたりは分離して除肉を進めておきたい。でも頸椎を除肉するのでタイムアップ。帰省するまでに除肉を終えたいのだが、案外時間がかかるなあ…

放課後はやどけんMTの後、クリスマス会的な何かを行った。去年は26日にやったせいで半額で売っているだろうケーキを見つけ出すことができず敗北に終わったのだが、今年は何とか半額のケーキを見つけ出し勝利を収める。Yさんがチキンの煮物を持ってきてくれたり、サンタクロース・水槽氏がドーナツだけを届けて去っていったりと差し入れも豊富でよかった。
来年は24日が水曜日なので、この日にクリスマス会的な何かが行われる可能性がある。きっと、今年よりも半額のケーキがたくさんあるに違いない。

~・~・~

さて明日は2013年最後の授業、生物多様性情報学lllがあります。この授業の前後でイタチの除肉を完了させておきたいところです。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月24日

私よし! テーブルよし! あなたは…いない

今朝は6時に起床。さかなくんとYくんと共に宝篋山に向かい、オサ掘りをするのだが610は制限時間内に掘り当てることができず敗北。のこる2人に成功を託して帰還。

2限:生物多様性情報学lll
この科目は生物多様性情報学Iと同じくらい、15人程度の受講者がいると読んでいたのだが、いざ教室に来ると5人しかいない。これは予想外だったが、なにはともあれ成績のつけ方とかこの授業の目指すところ、生物多様性情報学とは何かというお話を聞く。

3限:哲学カフェ(聴講)
今回のお話はあまり感心できなかった。いや、所々ではおおっと思うことがあったのだが、ブログでダーッと書き散らすようなImpulseが沸き起こるものではなかった。

本日印象的だったのは、ある就活生の悩み事があがったときに、「やりたいこと」はそれなりの企業に就職しなければできない、と思い込んでいることに対して、「そんなことは全然ない。やりたいことがあった時、○○じゃなきゃできないとか、○○にいたらできない、なんてことはありえない。本当にやりたいことがあったら、いつのまにかやってしまうもの」ということであった。
何だか文章に書くとすごく胡散臭く感じるが・・・こういう気概というか、考え方は色々なことに応用できると思う。

4限:ロシア現代文化特講b
学生2人で粛々と露文和訳をする。今日は自分の出来があまりよくなかった…

放課後の電顕バイトではK君と共に菅平のこととか演習のこと、生き物のことを話す。

帰宅後、マトダイの調理をしようと思ったが、まだ解凍しきれていない点・サイズが大きくて調理ができないのではないかという不安にさいなまれる。

~・~・~

明日は月曜日程で、610はこのたびから月曜日の専門語学(英語)を受けることになるのだが、何と休講らしい。2コマ分休みになるのはいいのかしらと気にかかるところだが、この時間を使ってイタチの骨格標本作りができると考えると非常にありがたい。
ヘブライ語をやり、やどけんミーティングを終えたあとにはクリスマス会的な何か(リベンジ)を行います。昨年は26日に実施したため、たたき売りされているケーキとかチキンを見つけ出すことができず、苦汁をなめました。今年は去年の敗北を克服できるでしょうか?  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月23日

新鮮なイタチに対峙する一日

そういえば昨日、薬局で焼きミョウバンと脱脂綿を買った時、ふとアルバイト募集の張り紙があるのを見かけた。今まで610は接客業が心の底から向いていないと思っていたのだが、よく考えてみれば剃髪をしていてしかも眼鏡紐をしているような外見の人間を易々と採用することがあることもないだろうということに気が付いた。何というか、髪を染めているとか化粧が派手だとか過剰な装飾品をしているとかいうのと別の観点で不採用を受けそうだものなあ・・・

さて今朝は7時起床。最低気温は-3.8℃、今シーズン最低を更新。しかしながら、去年は-5~-4℃台を頻発していたことを思えば、それに比べてまだ温かい方である。
目覚めてから直ちに冷凍庫からイタチを出すのだが、もしかしたら失敗だったかもしれない。解凍される気配が感じられない!
ということで本日は解剖パーティーを行う。まず1時間くらいはイタチの解凍に費やされる。


外傷が見当たらずきれいだったので皮をきれいにはがしていく。


およそ2時間近くかかり、全身からの剥皮完了。四肢で予想以上にきれいに剥けたことで尾でも簡単にいくだろうかと思いきやブチブチと切れてしまい予想外だったものの、顔面に傷一つなくひげから鼻から耳からきれいに取ることができたのはうれしい限り。これは今度なめしてみよう。
その後はひたすら除肉していくのだが、これが思いのほか時間がかかり、結局17時まで粘ったものの、除肉を完了できなかった。残りは木曜日に行うことに。それにしても疲れた…

ちなみに今回剥製づくりを目論んでいたカラスについては、剥製にするには状態が悪かったことと、イタチがいつまでたっても終わらないことにより、ネコと共に埋葬処分に。で、夏に埋めたハクビシンを掘り返しに行ってもらったのだが、何と見つからなかったという。Namaさんがひそかに掘り返したのかもしれない…
冗談はさておき、イタチの解剖と並行してさかなくんが味の骨格標本作りに挑戦していたのだが、どうやら敗北した模様。魚は本当に難易度が高いので失敗しない方が不思議なくらいなのだが、この年末にでも実家でぜひ特訓してもらいたい。
魚のことで一つ。3月に沖縄で拾ってきたムラサメモンガラ?っぽいものがやどけんの冷凍庫に入っているのだが、先ほど様子を見てみたら既に干からびはじめていた。色がきれいなこの魚は片面剥製に供してみようかと思っていたのだが、もしかしたらこれでは無理かもしれない。いや、無理ではないかもしれないが見栄えは圧倒的に悪そうだ。ということは、もしかしたら我が家に眠っているマトダイも状況は同じなのでは…と思ってみてみたら、やっぱり危ない感じであった。これは近いうちに処理しないと…

~・~・~

さて明日は早朝からオサ掘りに行ってきます。やどけん1年生が企画したクリスマスオサ掘りで、どうやら下見なしのぶっつけ本番のようです。オサ掘りの経験のない彼らがクリスマスイブに突撃して敗北するのは悲劇だと思うので、何とかしたいものです。
ちなみに明日から秋Сモヂュールが始まりますが、開幕科目は唯一の専門科目でもある生物多様性情報学lll。いったいどうやって受講者数が削減されていくのか楽しみです。
で、夕食にはマトダイを食べようと思います。冷凍庫には2匹分あるので、1つを食べてもう1つの処遇を決めるつもりです。

皆さんにとって、明日がクリスマスイブであることが610にとってどうでもいいことであるのは自明かと思われます。ただ、A氏が憤死しないかが気がかりです。せめて、不毛な行いはしないでほしい、と余計なおせっかいを書いておきます。
誰かが救われる気は全くしませんが、なんとなく去年の610のイブの日記を紹介しておきます。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月22日

冬至を体験するアキアカネ

今朝は8時15分頃起床。例によって宝篋山へ行くわけだが、その前に610の大学生活の根幹を揺るがす大胆な改革に打って出た。今まで朝食のメニューは納豆ごはんと赤だしの味噌汁(具材は豆腐)で固定されていたのだが、なんと納豆を放棄し、卵かけごはんに切り替えたのだ。理由は単純、納豆を食べるまでの準備、食べるときの気遣いに限界を感じたからである。
610は今まで毎日のように納豆を食べていたのだから、それを嫌っていないことは自明である。しかしながら、納豆のにおいが手につくことや、ねばねばしたものが箸や茶碗につくことが非常に苦手で、ほんの少しでもついている場合は水で洗い流さないと気が済まないのだ。なので毎回のように食事中に席を立つ必要が出てくるし、ご飯の上に乗った納豆が絶対に茶碗につかないよう細心の注意を払ってご飯を解体するのにもかかわらず、最後の方で手詰まりを迎えてしまったことは果たして何度あったことだろう。
今までは―大体今年の11月くらいまでは―このことについてあまり悩み苦しむこともなくいつものルーチンで処理できていたはずなのだが、一度気になりだすとなぜこんな面倒なことをしてまで納豆を食べ続ける必要があるのかが分からなくなった。そこで、納豆のストックが切れたのを見計らって卵に切り替えたのだ。どうでもいいが、卵を買ったのはたぶん2年3か月ぶり位のことだ。

で、なぜ卵なのかと問われると明確な回答ができない。梅干しでもサケの切り身でもよかったはずだし、食パンとかもちとかシリアルだって選択肢として十分あり得るもののはずである。ただ、今まで納豆を食べ続けていたことを考えると、どうも「ご飯に何かをかける」「混ぜる」「単体でも食べられるし、トッピングも可能」「かならず捨てるべき部分が出てくる」という類似性に魅かれたことは否めない。

さて宝篋山へ向かう。


今日は12月22日、冬至を迎え冬のど真ん中に差し掛かっているはずなのだが・・・何か場違いな生き物が日光浴をしているではないか・・・


驚くべきことに、先週と同じ場所で再びアキアカネと遭遇することができた。この寒い中、いったい彼は生き残っているのか。不思議に思うかもしれないが、それなりのタネが無いわけではない。つくばは冬になると西~北の風が卓越して、これは宿舎から宝篋山までの移動の際の試練になるわけだが、アキアカネが生き残っている場所ではうまい具合にこの風が吹き込まないような構造をしている。西から北にかけてぐるりと藪や樹木が囲っており、田んぼのそばということもあり開けていて日当たりも良好。2月半ばまでトノサマバッタが生き残っていたどこかの土手とは遮るものが違うものの、越冬できない昆虫の生存期間を引き延ばすには、風を如何にして吹き込ませないかが大事になってくるのだろう。

ちなみにこの場所、初めて宝篋山に足を踏み入れた翌日には既に到達していた場所で、それから何度も歩いた場所であるにもかかわらず、この発見に至るまでに2年8か月、100回近いアプローチを要しているわけである。まあ今までの12月の訪問回数が少なすぎたことも発見の遅れにつながったわけだが、ここで言いたいのは、経験豊富な人間が沢山観察しなければ到達しない境地がある、ということではない。そうではなくて、610のように沢山観察すれば見えてくるものが違ってくるよ、などと後輩を洗脳しようとする人間でも見えてこないものがたくさんあるということだ。

ちょっと脱線するが、610のように「宝篋山100回も行ってる自分ってすごいでしょ!」みたいなアピールをしたり「沢山観察しなきゃ生き物なんて見えてこないよ」みたいなホラを吹いている人間を見て「そっか、たまにしか観察に行かない自分だと観察してもつまらないだろうなあ」とか「生き物を知らなきゃ観察する資格はないのかなあ」などと思ってはいけない! それは大変な過ちである! 経験とか知識というものに騙されて、それが足りないことで「よい」自然観察ができないと思い込み、無駄に自然観察に対するハードルを上げてしまっている。
大事なのは、610のような器の小さくて、自分の知識とか経験しか誇れるものの無いようなろくでなしの人間というものは、往々として自分が体験したごくわずかな世界、それに基づく世界観が絶対唯一のように思っていること、そしてその小さな偏見に満ちた世界観をさぞかし生き物の本質だとか自然観察の奥義であるかのごとく披歴しているということ、そして自然観察をするとき、生き物を前にして人の経験とか知識を比べあうことには意味がないことに気が付くことだ。
だから、知識や経験が足りないことは自然観察をするに当たり何のデメリットにならないことをここでは主張したい。なんだか、このブログ唯一のおすすめ記事で書いたことと真っ向から対立しているような気がしてならないのだが…その点で浮き彫りになった矛盾点があったらぜひ指摘していただきたい。


先週ある場所で下草となっていたササや余計な広葉樹の枝を刈り払っていたのだが、枝の方は山にして置いてあった。ゼフィルスの採卵にはうってつけなのだろうなと思いつつ、少し採卵みたいなことをしてみたのだが卵は見つからない。そもそも何の卵があるのかも知らないし、卵を見ても判別ができない。610が見つけられるのはヤマカマスかヤママユのまゆだけだ。このまゆはきちんと孔が開いていたので無事に成虫が飛び立っていったのだろう。
さて鳥見の方だが、先週同様水鳥は見つからず、他の鳥自体もあまり見られなかった(鳴き声は結構聞こえた)。ただ1羽見慣れぬものを見つけた。モズよりちょっと大きくて、頭はモズのようにオレンジではなく黒く、腹は灰色っぽくて・・・後の特徴はよく覚えていない。そうだ、ものすごく挙動不審で絶えず不自然な姿勢できょろきょろしていた。なんだったのかなあ…

帰宅後、ホームセンターで明日の解剖パーティーのための買出しをする。剥製づくりをする可能性があるので、それに必要となるものを探しに行ったのだが、筆粉はともかくとして(代用品のおがくずは容易に入手)、木毛が売っていなかった。さすがに明日の段階で縫付ができるとは思えないし、中の詰め物なぞ色々なもので代用できるはずだ。というより、果たして剥製に取り掛かることはできるのだろうか…

~・~・~

ということで、明日は第2弾解剖パーティーが挙行されます。イタチの解剖&骨格標本作り、夏に埋めたハクビシンの発掘及び骨洗い、そしてカラスの剥製に挑戦したり、魚の骨格標本作りをしてみたりします。剥製は経験がないのできっと失敗するでしょうが、トリをさばくのは初めてなので、ひとまずいじり方を把握できたらいいなあと思います。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(2)

2013年12月21日

哲学カフェ×やどけん

さて昨日の打ち上げでは創作中華料理ということで脂っこいものをたんまり召し上がった後、610家で二次会が始まる。これがいつ終わったかというと今朝の午前7時40分ごろで、その間延々と話したりしていたわけである。610が話すようなことが哲学的なことから離れられるはずがなかったわけだが、9時間ぶっ通しで議論するようなことは無く、虫の図鑑を見たりコーヒーとお酒が混じったどうしようもなくまずいお酒を如何にしたら飲めるか工夫してみたりしていたわけだが、後半は主にYさん―結局冷凍庫見てないなあそういえば―が我が哲学カフェのいけにえになりあれこれ話をすることとなった。
とにかく、610は救いようがないくらい変らしい。やっぱり、和服が期待からと言って突然授業に和服で着てみたり、大学で開講している全ての語学を学んでやると思い立ち、専門科目を犠牲にしてまで履修するようなことって変なのだろうか。
あと、大学3年生にもなって色々なことにこころを揺さぶられまくっているのがすごく若いことらしい。610は610で、普段の授業とか木曜日の図書館での哲学カフェとの自分の態度の違いに違和感を覚えつつ、全力でYさんを口説き、誘惑したのだが、彼女のこころを揺さぶることはできたのだろうか…
もうひとつ、いろいろ話していた時、高校時代と今とが全然違っているねという流れになったのだが、その時彼女が実に的確な言葉でそれを申し上げていたのだが、何だったか忘れてしまった…カタカナ言葉で3文字か4文字のもので、ものすごくしっくりくることだったのだが…どうしてこう、重要そうなことが丸々頭から抜けてしまうのだろう…あれか、髪の毛があまりに無いからキープできないんだろうなあ…

途中Dr.Kさんがリバースするなど事件もあったわけだが無事に撤収を終えたあと、しばし仮眠。10時半ごろ目が覚めたのでとりあえず朝食にしたわけだが、中華料理とか酒が胃腸に響いているようで気分が悪い。思えば昨日は610もそこそこ酒を飲んだわけだが、二日酔いというよりは単純に徹夜との相互作用で体が悲鳴を上げているのであろう。というか二日酔いをしたことが無いので感覚が分からないのだが…
ちなみに、ウォッカを含めどの酒も総じてまずかった。私は経験が少ないこともあるのだが、酒を飲んだことが無い人でも類推できそうな、見ただけでまずそうなものもあったし、達者な人ですらあまりおいしく思わないものもあった。とにかく、自分にとって哲学カフェに酒はいらないなあ、緑茶をすすりながらでも問題ないなあなどと強く実感したのであった。よし、ここはひとつ、2014年から再び飲み会での飲酒拒否を実行するのも悪くないだろう。
しかし問題は、余った酒をどう処理するかである。ソフトドリンクすらも普段の生活で飲まないような人間が、焼酎を昆虫トラップに使わずしてどう減らすことができようか。まあ、次の飲み会の時まで放っておけばよいだけなのだが…

さてお昼過ぎには兵太郎池へ鳥見に出かける。沢山いたカルガモが随分少なくなり、その代りかマガモが多くなったような気がした。


何かが潜んでいて脱出していった痕。


ヤママユのまゆ。孔が開いておらず、蛹は中で死に絶えてしまったらしい。


けっこう近くで観察できたモズ。


未だに生き残っているヒナバッタ。孤独に響き渡る鳴き声が郷愁を誘う。

散策を終え、昼寝。思えばここ最近昼寝をすることもなかったのだが、疲れていることと、PCのバッテリーが寿命を迎え、新しいものが届くまでいじることができないと思い込んでいたためにブログを打つこともできなかったので久々に思う存分寝る。その後買い物を済ませる。

~・~・~

明日は宝篋山散策をしたり読書したり考えたりしたいものです。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月20日

油ものを大量摂取した先に待っていたもの

今朝は8時起床。部屋の片づけと生き物の世話をしてから昨日宣言したとおり、哲学をしてみる。その結果はブログでまとめるのもいいが、せっかくろくでなしのwebページがあるのだから、それを活用しようと思い立ち、そこにまとめてみた
といっても、前書きを一応作ってみたという程度で、本題については頭が働かず進展が見られなかった。言いたいことはつまり、「蚊とかゴキブリは平気で殺すけど、どうしてクジラはそうできないのか」ということであり、その背景には「蚊とかゴキブリは害が及ぶから殺してもいいけど、クジラは殺さなくても科学は発展するし、そもそもクジラ肉は誰も食べないじゃないか」という一般的な見解があって、610はこの言い分にう~む、と思ってしまうのである。害があること・科学の発展と殺すことは別なんだから、「害があれば殺していい」なら「研究のために殺していい」が成り立つはずである。でもそれは許されない。おかしい。何でだ?

という感じでいろいろ考えたいところだが、ここで頭が凝り固まってしまい、ろくなことが思いつかない。仕方なく投げ出し、バイトへ向かう準備をする。

電顕バイト:不調だった電顕は復活してはいたが、完全に元の調子にはなっていない模様。だましだまし使えば撮影自体はできるようだ。
で、撮影の合間に『哲学のすすめ』を読む。これが非常に分かりやすく、今後にぜひとも活かしていきたいものであった。

バイトから帰宅後、しばし部屋を整頓し代替わり会の会場へ出向く。雨が上がっていたので移動に難儀しないのは良かった。

そしておそらく610家で二次会、三次会が行われることだろう。騒がしくならなければいいが、今宵はいつまでやるのだろうか…

~・~・~

明日は体力回復に努めたあと、鳥見でもしようかと思います。
  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月19日

テスト期間にヘブライ語と哲学に浸る

今朝は7時半起床。今日はヘブライ語の課題を解いてしまおうと思っていたのだが、朝からやる気が湧かない。かといってマインスイーパ中毒になれるわけでもなく、長い間何をしたのか覚えていないが、きっと何もしないでいた後、課題を始める。今回は1題あたりの問題数がやたら多いこともあって、ノートに書き写すだけで1時間かかるし、しかも前にやった内容が徐々に抜けてきているようで、語形変化をしている動詞の語根を見つけ出すのにものすごく時間がかかってしまったりして、ヘブライ語をもってしてももともとないやる気のボルテージを上げるまでには至らず、けっこうな苦行であった。結局完遂させることができず、最後の問題(ノートに写すときには色々と書き込むため4行も間を取っているのだが、この問題だけで3ページくらい消費した)の途中で投げ出す。

そして哲学カフェが行われる図書館へ移動。どこでやるのかと思ったら、エントランスに椅子が用意されているではないか。こんなオープンなところでやるのかと驚かされたが、確かに哲学カフェの理念としてはオープンであるべきなのだろう。ただ、何となく気恥ずかしい感じがする。まあ知り合いに見つかる分には気にしないし、むしろ参加を促したいくらいなのだが、テスト期間中ということを感がるとそういうわけにもいかない。
ちなみに、オープンでやるときの最大の障壁は周りの騒がしさであった。いや、もちろん周りが静寂である必要は必ずしもないわけだが、話していることが聞こえないと成り立たないわけだから、これは改善というか方策を練った方がいいのだろう。

哲学カフェが始まるに際し、そばにあるスタバのスタッフがやってきてささやかながらコーヒーとケーキを振る舞ってくれた。なんだっけなあ、ふつうの豆ではなくて加工する前段階?のものを使っているとか、唾が出てくるような感じがするらしいとか、ケーキが合うんですよとかいう説明があったような気がする。

さて今回のテーマは「クリスマスについて」。参加者がクリスマスについて思ったこととか、印象のある出来事について話す。そういう話を聞いた後、哲学的な話が始まっていくわけだが、3時間に及ぶ長丁場、本当は時間が全然足りないと感じるところなのだが、要するに内容を逐一覚えているわけではない。その中でいろいろあったと思うことは…

・クリスマスって楽しまないといけない、みたいな強迫観念がある
・クリスマスよりもイブの方が重要みたいだね
・「あなたのクリスマスは幸せですか?」と問われている
・幸せかどうかを確認する作業

・クリスマスのためにチキンが必要、ケーキが必要、シャンパンが必要・・・ってなるけど、そうやって「クリスマスしている」ことを確かめている

・イブの夜に恋人と過ごすことが一番の幸せで、その次が友達、サークル、家族、ぼっち・・・そんな感じで、クリスマスの幸せのヒエラルキーみたいなのがある
・で、みんなはそのヒエラルキーの頂点に君臨する「恋人と過ごす」ことがいいなと思う。
・でも、ほんとにそれって幸せなの? 「一番幸せなイブの過ごし方」を演じている自分たちがいるだけなのでは

・「クリスマスなんて関係ない」という人もいるが、「関係しない」という所でクリスマスと関係している
・クリスマスを知ってしまった以上、クリスマスを超えた考え方をすることはすごく難しい

・「クリスマスを楽しむ人」もいれば「クリスマスを呪う人」もいる。いろいろいていいじゃないか。こういう考えって一見して冷静な立場にいるように見えるけれど、実はとっても危険な考え方(確か、いろいろある、ということで考えを止めてしまっているという意味で危険だ、ということだったような…)

・「年配の世代はね…」とか「アメリカのクリスマスはね…」とか「父親としてのクリスマスはね…」とか、色々な立場でクリスマスを見ようとしているけど、そういうものは関係の無いこと。「バブルのクリスマス」「アメリカのクリスマス」「父親のクリスマス」という枠を自分たちで作ってしまっている

・そういう枠なんてものは初めから存在していないのに、ここにいるみんなを含めて、誰もがそういう枠を作ってしまっている
・この枠にとらわれていると思っている自分の考えがどんどん流れ出していき、それが誰かのところに混じっていく。絶えずいろんな人の考えがまじりあっていくことで、そこから新しいものが見えてくる


―クリスマスのことを考えていると同時に、もっと普遍的なこと、根本的なことを議論しあっていることがお分かり頂けるだろうか。
残念ながら、ここに610が話したことは書いてない。哲学的なコメントができないのである。いや、自分が発した言葉があり、それは立派に哲学の一部だとは思うのだが、何というか話の本筋には乗れないのである。日々いろんなことを聞いてこのブログでああでもないこうでもないとかけるに至ったのは哲学カフェ関連の講義の影響が強いわけだが、それでもまだ610は粗いのである。能力とかセンスという言葉を排すると、これまであまりに人と話すことを避けてきたからなのだろう。まあ、気付いたら何ともなくなっているだろうから気にすることは無かろう。

~・~・~

さて明日の午前中は思索にでも耽っていたいものです。哲学カフェからの帰り際、生物哲学概論第一講「生き物を殺してよいのか?」について考えていたので、まとまればブログに載せようと思います。
で、午後は電顕が復活したのでバイトをしながら考え、夜はやどけんの代替え会に出ます。2次会か3次会で610家が使われる―Yさんが冷凍庫を見たくて仕方がないらしい―ので部屋の掃除もしないといけないですねえ…  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月18日

卒研先の先生からの問題に答えられない敗北感

今朝は4時に起床。とりあえず発生生物学IIと動物進化学特講の資料の見直しをするのだが…


1週間くらい前からマインスイーパの誘惑に魅せられてしまい、絶対にクリアできないと分かりつつ超上級やマニアに突撃しまくって時間を潰してしまっている。たしかにマインスイーパは神経が研ぎ澄まされていないとできないものなので頭が醒めたり、或いは雑念が入るとできなくなるので余計な記憶を増やさないためには好都合なのだが、そうやって言いがかりをつけてはカチカチやってしまうのはもはや中毒である。

1限:発生生物学II
試験問題を見てみると、持込可能(紙媒体に限る)とのお触書が。これはPCでノートを取っていて、しかもプリントアウトしていない学生にとっては条件的にとても不利だ。せめて先週の講義の最後に一言アナウンスでもあれば良かったのだが、何もなかったのだ。
もちろん610は不利の代表格なわけだが、元から持込不可能だと思っていたので、持込ができ様ができまいがあまり関係のないことであった。とはいっても、細々とした名前については持込不可と違って「ごまかし・省略」が使えなさそうなので、必要なところはハンドアウトを見ながら、覚えていることは見ないで記述し真っ先に退散。成績を予想すると、Bだろうか。

2限:動物進化学特講(特攻)
全部で4問出題されたが、最初の問題が卒研でお世話になるであろう町田先生御出題のもので、無翅昆虫-有翅昆虫体系が近年否定されつつあるが、その理由を答えよ、というものであった。これを前にして、610は挫折した。
まず、これを授業で聞いたことが思い出せない。次に、理由として候補に出てきた「内顎口-外顎口システムの棄却」というトピックについて、これは無翅昆虫の中でもカマアシムシ、トビムシ、コムシに関係のある問題であって、従来のシステムが棄却されたことでこの3グループの系統関係が明らかになりこそはすれ、それが無翅昆虫と有翅昆虫の区別をも薙ぎ払うかというとそうではない。ここからがあいまいなところだが、内顎-外顎の縛りを取り払ったことが、そのまま有翅-無翅の区別を超えることに繋がったのだろうか。ここの関連が分からず、敗北を認めた。
まともに内顎口-外顎口システムの内容については書けるだけの記憶はしていたのだが、書こうとすればするほど問題の意図に沿わない解答を創成しているような気がして書くことができなかった。それでも一言、「分かりませんでした。」とだけ書いて提出するような潔さを抱くこともできず、点数が欲しさに何かを書き残そうとする自分の狡さに対峙し、間違っているとは思いつつ、このシステムの最低限の概要を書いてしまったという行いには後悔が募る。

それから、用語説明と姉妹群を答える問題については、5題中4題を間違えた。まずこれで言えることは、過去1年間学んだことがまったく定着していないことが、そして授業がまったく理解できていなかったことである。つまり610は、分類学や系統学、体系学、進化学の類の研究をしたいと思っていながら、それらの根幹を為す自然分類群とかクレード、カテゴリーについて、知っていそうな顔をしながら知らなかったのである。この時点でもう笑いものだが、もう一つ面白いことは、今まであれほど散々「意識の高さ」をここで露呈してきたのにもかかわらず、その意識が面白いくらいに空回りしていたことが浮き彫りにされたことである。掲示板でバカにされるような「意識高い人」は、しばしば言行不一致が目立つわけだが、読者の皆さんはそれをリアルタイムで観察なされたことになる。

もう少し「意識の高い人」を続けてみると、610は今回の試験の不出来について、全然落ち込んでいない。「あ~やらかしたな~。でもまあいいや!」という感じである。「試験ができなかったのは問題が悪い」とか、「この試験の出来と610の能力の低さは関係がない」とか「試験以前に610には研究者としての人格が破壊されている」とか考えているからである。
一応付け足しておくと、私は強がっているわけではないし、自分は試験で測れない能力に満ち満ちているなどとも思っていない。例えば、今回610が壊滅した用語問題については、直前に目を通していた人は正解できたかもしれないが、610は直前に目を通してない。試験に臨む15分前の段階においては、クレードについて同程度に無知であった可能性もあるわけだ。そういうときに、果たして正解できた人の方が610と比べてクレードについて理解しているかというと、Yesとは言えないだろう。こういうことに思いを巡らせると、用語暗記系の問題では理解度は測れないよなあとか、試験をする意味があるのかなあと疑問を覚え、出来が良かろうが悪かろうが、そのことが心に響かなくなってくる。
―まあ、端的に言えば、Игорьに洗脳されて、哲学カフェで刺激的な考え方を提示されたために、思考体系が歪んでいるだけのことである。

さて成績評価だが、大問をおよそ2つ落としていると考えると、他が多少できていても6割にすら届かない! しかし、これに出席が加味されることを考えると、Cが与えられる可能性がある。ただし、絶対評価ではなく相対評価だということ、周りの皆さんの「できない」とか「テスト勉強全然してないっす!」という「意識の低い」声の信頼性、これらを考慮すればBかもしれない。

なにはともあれ、これにて610の秋ABモヂュールの試験は終了した。

帰宅後とりあえずブログを書きながら、今回のテスト問題の内容を復習するのではなく、筆記試験をすることの意味を考えていた。その一部は動物進化学特攻の欄に反映されているが、よくよく考えると発生生物学IIの試験も概念とか現象とか実験を覚えているかどうか試すような内容であった。果たしてこういう試験問題というのは、学生の理解度を測れるのだろうか。
この手の問題は、大雑把にいえば、一夜漬けで何とかなる類のものである。こういった問題を解かせて単位を与えているが、それでいいのだろうか。610はついこの間まで、この高校受験の延長にあるような暗記に頼って数多の試験を突破してきたわけだが、ここにきてとてつもない無力感にさいなまれている。どういうことかというと、試験はおろか講義の内容が思い出せないものがあまりに多いのである。必修科目といえども、何となく履修して何となく暗記し、何となく単位が来た科目のなんと多いことか! 単位って、試験週間というよく分からない期間に頭の中に詰め込んだ情報を試験日に一気に放出する記憶力ゲームの成績優秀者に与えられる勲章以上の意味を持たないのではないか? そして、その勲章というものは、単位を得たはずの科目の理解については何も保証していないのではないか?
そして人は、この空虚な勲章をもとにその人を判断するのである。Aが多い人ほど優秀で、Cが多い人はダメな人、という具合に。ああ、今の610なら十分よく分かる、これがとんでもない暴力だということが!
もちろん実際に優秀な人はいるだろうし、その逆も然りである。なんというか、ここでは成績評価とほんとうの理解力が一致するようなケースを問題にしているのではなくて、そうではないケースを嘆いているのである。要するに、理解はしていないが要領だけは良い人が優秀だと思われること、深い理解をしているが容量が悪く成績に反映されない人がバカ、ということが何と偏った見方であることか。
確かに成績の良しあしを見るのは便利だし楽で、それが間違いだとは言い切れないが、でもおかしいとは思う。
そういう考え方を、ほとんど試験が卒業に関係しない今頃になって習得したのは、世渡りの上手さでいえばうまかったのだろう。だって、今まではAとかBをとらなきゃ、Cは嫌だなあと思い、試験週間にはイヤイヤ詰め物学習を行い、結果としていい成績を手に入れ、しかも試験が終わってからは授業内容を忘れ、気が付けば100単位以上も習得してきたのだから…ずるさを感じずにはいられない…

~・~・~

さて明日は全休です。せっかくなので生き物さがしにでも行きたかったところですが、天気が悪いので部屋でじっとしています。
15時から図書館で哲学カフェがあるそうなので、行ってみようかなあ…  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月17日

一次休職

今朝は7時起床。午前中は生き物の世話をしたりロシア語を訳したり発生生物学IIのノートをまとめたりする。

3限:哲学カフェ(聴講)
先週話したこと(先週書き忘れてしまったが、最後の方に出てきたサイエンスコミュニケーションの胡散臭さとか、ほんとうのコミュニケーションは聞き手・話し手双方からアイデアが浮かび、先に繋がっていくものであるとか)を話しつつ、何か一つの目標に向かっていくためには、センパイに代表される上下関係がある方が都合がよく、しかも色んなところで見られる形態なのだから合理的なのだろうということ、でもこの体系って「寄り道」しないから生産的ではないとか、またある参加者がバイト先の店長に対する文句を言ったり(自分が「店長」であることを必死に守り通す店長に、こちらがいくら「○○さん」と読ぼうとしても理解してもらえない、この溝をどう埋めればよいのか)、そして最後には、問題を解決するために、例えば店長より立場が上の人を使って人格を陶冶しようって言うけど、それって他人任せだよね、変えるべきなのは相手だよね、そうじゃなくて変わるのは自分なんだよ、それで相手が変わるかどうかは分からないけど、とにかく自分が変わっていかないとどうにもならないよね、という具合で終わる。
色々な発言があるごとに「ああ納得」とか「よく分からん」とか思うわけだが、今回は前回および前々回のような湧き立つ感じがしてこなかった。ただ、最後の方に出てきた、相手云々ではなく自分が変わるんだ、というさっちゃんの言葉は印象的であった。本意を捕えかねている気がするのだが、最近何となく痛感していることである。

4限:ロシア現代文化特講b
例によって露文和訳。ロシア人がキノコを高カロリー食品だとして警告を発しているというくだりが面白かった。
※ロシアのキノコが高カロリーであるわけではなく、調理の過程で油分をふんだんに吸収するがゆえの警告である。

さて放課後は例によって電顕バイトに行ったのだが、K君から引き継いで撮影をしようとしたら・・・なぜか画面が明るくならない。暗くはなるのだが、明るさのツマミをめいっぱい明るい方に回してもちっとも明るくないのだ。何かがおかしいなあと思案していた時…パンという小さな音と共に画面が真っ暗になった!
何が起こったか分からないのでとりあえずやとわれ先の先生に来てもらったのだが、画面が明るくならない問題については先生も分からないそうで、電顕の会社に連絡を申し入れていた。で、パンという音の方だが、610はおろかにもゲニタリアチューブを真空処理してしまったようで、そのチューブが破裂したときの音だったらしい。標本を破壊してしまった(こういうときロシア語ではОй какой же был скандал!-ああ、何たる失態!という)のは悔やまれるが、もしかしたら電顕の調子を悪くしたのは610の不手際―入れるべきではなかったゲニタリアチューブを、そうとは知らずに入れたこと―によるのかもしれない。

~・~・~

さて明日は発生生物学IIと動物進化学特講の期末試験です。思えば、今回のように解答用紙に文字を書きなぐる方式の試験はずいぶん久しぶりのことで、集中授業を含めると夏休みの人体発生学以来、平常の授業に至っては2年3学期以来のようです。2時間連続して文字を書く作業に耐えられるかどうかが不安なところですが、そもそも書くに堪えるだけの内容が頭に入っているかというと微妙なところです。まあ、詰め込むというよりかは、過去問を眺めながら授業ノートの該当箇所を参照して、内容の整理をするくらいしかしていないわけです。動物進化学特攻については、文字通り過去問が存在しないので捨て身で挑まねばなりませんが、予備知識があるという驕りのためにまだノートの見返しすらしていない状況です。おそらくこんなでも単位はもらえるでしょう…  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月16日

古典語学習者へのささやかなアドバイス

今朝は7時15分起床。部屋の片づけをしてからサテライト室に少し早く乗り込み、分子進化学IIの試験対策を行う。

2限:分子進化学II
去年の問題とそう変わりないものが出題されたのはまあいいのだが、距離法で解析をする設問に追いて、解析用のコマンドを間違って打ち続けていていつまでたってもエラーを吐かれ進めない事態が生じ、多大な時間の浪費をしてしまったのが悔やまれる。きちんと問題の文章を読まなければいけなかった…
あと悔やむべきは過去問の収集に失敗したことである。

3限:インド古典語初級B(聴講)
問題の答え合わせ。受講者が次々と脱落していく中、610はボロボロの訳を提示し続ける。結局問題量が多く最後まで終わらなかったが、610は秋Cモヂュールにこの講義を受けられない可能性があるので心残りである。専門語学(英語)CIIIが水曜日になれば継続して受講ができるし、しかも文字の練習に参加できるのだが、引き換えに昆虫学特講の「再履修」ができなくなる。担当教員に確認したところ、月曜日は定員いっぱいらしいので水曜日になるのかもしれないが、全てはそれにかかっている。

5限:ヘブル語初級b
答え合わせがすいすいと終わり、30分ほど時間を残して終わる。個人的には次のセクションの説明をしてもらってもよかったが、早く終わる分には気分が良いのでそのまま立ち去る。


ちなみに、残り授業はあと5回なのだが、ここにきてようやく教科書を購入。一瞥してみたが、今までもらっていたプリントバージョンの方が見やすく感じる。それはさておき、写真ではなぜかギリシャ語の教科書をも写り込んでいるわけだが、ヘブライ語の教科書はこの4大古典語の教科書の中では群を抜いて親切であることはゆるぎない。練習問題の解答こそついていないが、出典が書いてあるから自分で答えを確かめられる、すなわち独学ができるのである。
どうでもいいが、残り3つの言語について、テキストの親切さという観点で評価してみれば、ラテン語>サンスクリット≒ギリシャ語といった感じだろか。それから、ひょっとしたら学内の関係者の皆さまの中に、これらいずれかの古典語を学びたいと思う方がいるかもしれない。そこで、ギリシャ語を除いた3つの古典語について、わたしの知っている限りの情報を追記に紹介するので、興味のある方は参照されたい。

~・~・~

明日は試験がありません。が、試験勉強はしておいた方が良さそうです。  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(4)

2013年12月15日

第2の宝篋山マスターは君だ!

今朝は7時に起床。ひとまず昨日終わらせる予定だったサンスクリットを10時までに片付け、宝篋山へ向かう。


まず目に入ったのはウラギンシジミ。残念ながら冬越しする前に死んでしまったらしい。


風が強くて全然鳥を見つけることができず、途中でメインが虫に移り変わったわけだが、驚くべきことにアキアカネがまだ生き残っていた。しかも、少なくとも3匹のオスがいたのだ。なかなか頑張るなあ。ちなみに、オオアオイトトンボは見つけられなかった。もう死に絶えたのかただ見つけられなかったのかは分からないが…


サラサの小路にてウスタビガの繭を発見。おぼろげな記憶をたどると、これが新繭ではない可能性が出てきたのだが、絶妙な高さにあるのでその辺のササを使っても落とすことができず悔しい想いをして後にしたのだが、ある場所ではササを切り払ったりクヌギの間伐作業をしていて、そこで2つ手に入れることができた。そのうちの1つは刈り払われた枝から脱落したと思われるものが地面に落ちていたので何とも好都合であった。
ちなみに写真のものは別の場所で見つけたもので、誰かやどけんメンバーが採集することを期待してそのままにしておいた。


さてある場所にはみかんの木が自生しているようなのだが、この実をよく見てみると、ふつうのみかんと比べてうんと小さい。




この小ささがお分かり頂けるだろうか。どうやらこれは温州みかんとは違う物で、つくば界隈にしか自生していない筑波みかん(福来みかん)だろう。この木があること自体は1年の頃から知っていたのだが、よく考えると実がなる時期に来たのは初めてかもしれない。
皮をむいて食べずに済ませることなどできやしないので味見をしてみるが・・・なんと酸っぱいことか! 少なくともロシア人には受け入れられないだろう。ともかく、古来よりつくばの民に親しまれてきたみかんの味を知ることができたのは幸いである。


さてここは11月に何度も訪れた場所、イノシシのヌタ場があったり多くのやどけんメンバーがぬかるみに沈んでいったため池の跡地である。一週間のブランクを置いて再びこの地に来てみたところ、大きな変革がもたらされていることがすぐに分かった。きれいさっぱり藪が消滅してしまったのだ!




上の2つの写真は大体同じ場所から撮影したものである。水色の小屋を目印にしていただけると、変化がよく分かるだろう。ほぼ毎日欠かさずカミソリを当てることによって610の頭は不毛地帯たり続けているのだが、いまこの場所で見た現実はまさに私の頭に匹敵するくらいの潔さを出している。果たしてここには何かが創成されるのだろうか。気になるところだが、610には確かめられないだろうなあ…


どうでもいいことなのだが、本日をもって610は宝篋山訪問が100回目を迎えたらしい。私が所属している宝篋山大学では、卒業までに100回の宝篋山訪問が義務付けられているわけだが、これでようやく最低条件をクリアできたことになる。よくもまあ飽きずに訪問できたなあと思われるかもしれないが、宝篋山のいいところは行くたびに色々な生き物が発見できるところにある。勿論、610の興味関心が虫から爬虫類、鳥類哺乳類そして鳥類へと放散していったこともまた多数回の訪問のモチベーションになっているのだとは思うが、宝篋山にそれを受け入れるだけのポテンシャルがあるからこそできることでもある。
610が自由に宝篋山に行くことのできるリミットは徐々に近づいているので、ぜひともつくばに残るやどけんのメンバーたち、やどけんに所属していなくてもその気がある方たちに宝篋山大学に入学してもらい、宝篋山を満喫していただきたいものだ。そして、610が見つけ出すことのできなかった色々な生き物を次々と発見してもらいたいものだ。

~・~・~

明日は分子進化学IIの期末試験があります。一応ノートをLATEXで清書したり過去問を眺めたりしておいたので問題ないでしょう。
※自宅からリモートデスクトップを使ってコマンドを動かそうとしたところ、何かが足りないようで解析がはじめられなかったのでした。
それよりもサンスクリットに大きな問題が…  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月14日

610の弱点、マインスイーパ

今朝はまず4時に目を覚まし、流れ星を観察する。といってもベッドのすぐ横にある窓の外を、毛布をかぶりながら眺めるだけなのだが、幸運にもすぐに流れ星を確認。これに満足し、7時過ぎまで二度寝。
ここからサンスクリットをしたかったのだが、マインスイーパの前に610はあまりに無力だった。結局10時ごろようやく取り組めたわけだが、複合法はややこしいところが多く、8題に手を付けたところで集中力が崩壊。ヘブライ語はコンスタントに2時間程度で終了するのとはえらい違いである。
もうどうしようもなくなったので、サツマイモを食べてから天久保池へ鳥見に出かける。
ヒドリガモの色違い個体は見つけられなかったが、ハシビロガモがヒドリガモの群れに混じって行動していたのを確認。なぜ彼は単独での渡りを決断したのだろう。いや、渡ってきたときには同胞と一緒だったのかもしれないなあ。だとしたら、どうして単独天久保池に乗り込んできたのだろう…




コゲラも確認。彼らの鳴き声が分かるようになったら、思っていたよりもはるかに広範囲に潜んでいることが見えてきた。鳴く虫の声を聴けば種類が分かるような境地の鳥バージョンを、少しずつ会得できているらしい。この冬、一種でも多くの声を識別できるようになりたいものだ。
その後野性の森へ寄り道。ここでエナガを見つけ、学内での確認種がまた一つ増えた。もっといろいろな物が見つかるかと期待していたが、馴染みの小鳥やヒヨドリくらいしか識別できないし、おまけに暗くて何となく鳥たちがいない感じがする。個人的にはこの時期林内を飛び回っているであろうクロスジフユエダシャクをじっくり観察しておきたかったのだが、なぜかこのガも姿を見せない。時間帯が悪かったのかもなあ…

帰宅してからサンスクリットをするかというと、さらなる現実逃避に走る。曰く『解剖男』に読みふけってしまったのである。これがまたアツい本で610の進路を揺さぶりにかかるのである。ただ、今の610の心境としては、解剖学とか遺体科学に対する著者の想いを汲み取り、それを菅平での昆虫比較発生学に活かしていきたいという思いが趨勢である。研究材料たる「遺体」に対して「形を問う」アプローチの仕方とか、遺伝学や分子生物学に対する懐疑的な態度とか、研究室の少なさ、日本の経済への貢献の具合といった部分に共通性を感じ、要するに「遺体」が哺乳類か昆虫かというだけが違っているように思えてきたのだ。
610はまだ研究を始めてすらいないのでこの考えが正しいとは思えないのだが、もう少し尤もらしいことを言えば、「遺体とともに一生を添い遂げる」覚悟が哺乳類において出来ていないことと、哺乳類分野はこの人が先導するのならこの人に委ね、私は昆虫で道を開いていくのが良いのではないか、などと傲慢にも思っているのだ。まあ後者は半分くらい冗談だが、前者においては、610が哺乳類の内臓とか筋肉にそこまで関心を払えない、ということが大きい。やはり骨とか歯の方に魅かれてしまうのだ。その点で、610ができる遺体への問いかけはとても不充分になってしまう。ただ、本書で紹介されていたカワイルカからの「気管の気管支」の発見の事例などを思うと、軟らかい組織に意識を向けないことが、いかに自分の知的好奇心の道を狭めてしまっているのかがよく分かる。
この本の著者、遠藤秀樹さんの本はこれ以外にも数冊まとめ買いしたので、これからじっくり読んで遺体科学に招待されるつもりである。

~・~・~

明日は宝篋山に行きたいのですが、勉強はできるのでしょうかねえ…  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月13日

※私の恋愛偏差値は検出不能です

さて本日は7時15分に起床し、生き物の世話をしてからヘブライ語の課題に2時間取り組み、片付ける。
課題が終わり、いざ昼食(最近はサツマイモで済ませることが多い)を食べようとしていた時にある旅行会社から電話がかかってくる。私の携帯電話番号が知られていることが気に食わないだけでなく、610が会長に君臨していた時には一切旅行会社を使わなかったことからも対応がおっくうに感じられたのだが、今年の合宿先のマイナーさ加減(J君には申し訳ないが、一般的な大学サークルの集団が合宿地として選ぶことは無いであろう場所なので)とか現地集合というつかみどころのなさとか激安の下の格安料金であったことなどが幸いして、話し手を困らせることには成功したと思う。
次期会長さかなくんよ、これからこの手の勧誘が何度かやってくることであろうから-今のところ連絡先は知られていないはずだが-、必要性が感じられないときはあちら側の意図に乗らないようやんわりと断っておこう。「今年は人数が少なすぎて合宿ができません」というと、それ以上の追求はなされないだろう。これは実現してほしくはないのだが、ウソも方便という言葉があってだねえ…

さて午後から電顕バイトへ向かう。作業中の合間を縫って『眠られぬ夜のために 第一部』をちらっと読んでみたりしたわけだが、やたらと神を信仰することを説いてくる。このことは610にとって相容れないわけだが、信仰云々を考えないとすると、すごく深いことを言っているのがよく分かる。だから、この本はキリスト教色が強いから読むのを控えると言った態度はある意味で非常に損だろう。

人間は、エゴイズムがつねに自分自身に悪い結果をもたらすものだということを、理性をもって十分に納得しないかぎり、たとえ信仰がそれを教えても、多くの場合、それは生活に実際的な影響を大して与えない弱々しいものにとどまる。しかし、その深い理解を得た人は一大進歩をとげる。


先週の火曜日に哲学カフェであった出来事を思うと、この部分がとてもよく理解できるのである。筆者の意に反するが、610としては「信仰」を「哲学カフェ」に置き換えるとすごくすんなりくる。ブログを長い間読んでいる読者の方がいるのであれば、このブログでも進歩が起こっているような気が…してこないですよね(´Д`) 610は日進月歩、退化の一途をたどっています。

それから、あまり考えたくはなかったのだが、またもやクリスマスに関することを考えてしまった。今回はクリスマスに甘いひと時を過ごす恋人たちではなく、それをひがむ人たちに対する怒りに燃え上がった(この怒りが妥当とは思えないが、とにかく怒りを感じた)。
最初のうちは、「クリスマス中止のお知らせ」という文言に狂喜するような人たちは本当にクリスマスのことを良く思っているわけではないのだと思っており、それならそう思っている人たちがクリスマスをより良い日にできるよう取り組んでいくことができたら素敵だなあとか、恋人がいなくてもクリスマスを楽しめるようなひと時にできる力は、恋人がいない人、大雑把にいえばクリスマスに恋人と過ごすことに違和感を抱いている人たちだ下に与えられているものだと思っていたのだ。

ところが、現実ではそういう人はいないとはいかないまでも、ごく少数らしい。簡単に言えば、2013年のクリスマスを独りで迎え、クリスマスとかカップルを呪っていたような人が、2014年のクリスマスでは愛しの恋人と蜜月を交わすといった態度の転換が、ごく当たり前に起こるだろうということである。

これを思って感じるのは、自分がかつては妬んでいた恋愛に易々と身を沈めてしまう人たちの身勝手さというか、もっと正確に言うと、理解のしがたさである。あれほど、クリスマスのリア充たちを忌み嫌っていた人が、恋人ができるや否や嫌っていた側に進んでいくというのが分からない。なぜ、クリスマスに恋人と過ごすというステータスに拘泥するのだろうか。クリスマスが中止になってほしいと思っているのなら、恋人と協力して一緒に中止してしまえばいいものを、どうしてそうしないのだろう。上にも書いたが、この辺りで610には怒りを覚え始めたのである。

そもそも、クリスマスに恋人と過ごすことが恋愛だと思い込むのは、恋愛に対する視野の狭さを表しはしないか。クリスマスに恋人を求める程度の恋愛って、いったい何なのだろう。しょせん、そんなものは恋愛と呼ぶにふさわしくない、ただの世間体を気にしたゲームではないのか。
クリスマスを忌み嫌っている人たちは、こういうことにうすうす気が付いているだろう。だのにその気持ちを無視して、新しくできた恋人と一緒に、クリスマスという世間からの承認を受けることを優先する。う~ん、色々なことが分からない。だが、私が怒っているのがお分かりいただけただろうか。クリスマスを恋人と過ごすというゲームがおかしいと思っている人たちが、一度恋人ができてしまうとそのおかしさに目をつぶり、クリスマスを受け入れてしまうことは、彼らの怠惰なのである。そこがどういうわけか気に障るのである。

単純に言うと、彼らにずるさというか不誠実さを感じる。クリスマスとは無縁な恋愛だってあるだろうし、そういう所にだって素敵な恋人が見つかるかもしれない。なのにそういうことには目を向けず、ひたすらクリスマスという小さな湯船につかり込み、そこから出てこようとしてこない。ぬるま湯につかりながらクリスマスを呪うのはとても楽なことであるが、来年の今頃にはそこに恋人と一緒に入り込むのである。何と下品なことか。なんで愛しの人を、大切な人をそんな汚らしいところに招き入れてしまうのだろうか。

かつてぬるま湯につかっていたような人がすべきことは、恋人をそこに招き入れることではなくて、そのぬるま湯につかっていた自分のみじめさを誠心誠意こめて伝え、こんなところにいてはいけないと恋人を諭して、時には戒め、もっと快適な、2人が居心地の良い場所を求めて歩き出すことではないのか。
その結果として、クリスマスの居心地が良かったのならそこに落ち着けばよいだろうし、610の怒りは的外れだったと言える。ただ、思うにぬるま湯から足を踏み出し、実際にパートナーと色々なところを歩いた人は多くないだろう。なぜかというと、恋人もまた別のぬるま湯に浸かっていたからである。

だから、610としては今年クリスマスを呪っている人には心から呪ってもらいたい。そして来年、恋人ができたら、呪われたクリスマスから恋人を全力で守ってもらいたいのだ。それができるような恋愛は、きっと実りあるものになろう。

~・~・~

さてこの土日はテスト勉強なるものをしなければなりません。もっとも、真剣な対策が必要なものはそんなになく、分子進化学はその場で解決可能だろうし、発生生物学はいろんな分野とオーバーラップしているし、動物進化学特講は英語であるだけです。まあ、こういう余裕をかましていると点数に響くのかもしれませんが、今までの経験上何とかなるでしょう。せめて、TEXでノートを清書するくらいはしておきたいですが…
せめて、今日のようにろくでもないことを考えないようにはしたいものです  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)

2013年12月12日

鳥を探しても見つかるのは繭

今朝は7時15分起床。

朝からこんなブログの記事に目を通して色々と思うことがあったのだが、まずはじめに言いたいのは、この方が書いているブログの記事のいくつかには、610が常日頃考えているようなことに対する意見がものすごく明快に表現されている。なので、何らかの考え方のヒントを得たい読者の皆様がいるのであれば、このブログから一刻も早く乗り換えることを推奨したい。
さて次に記事そのものに関連したことを述べると、先日大学であったこの事件でも同じような考えができるように思う。つまり、被害者である女性がホテルまでのこのこついて行ったことに対して、「彼女が無知であった」ことと「彼女が被害を受けた」こととは無関係であるべき、だのに「彼女に非がある」ということを言う人はおかしい、と言うことである。610もこう言った見解に同意できる。彼女が男性と2人でホテルに行ったことに対して、確かにそれはそれで問題行動たりえるかもしれないが、だからといってそのこと彼女を責める理由に使うのはおかしい。

2限:専門語学(英語)CII
assignmentを提出後、簡単にその内容を口頭説明する。話したいフレーズを考えるとき、英語ではなくロシア語が先に出てきてしまうのはまだ治らず、そこで止まってしまうから余計にたどたどしさが増幅されてしまうのは良くない。

さてもうロシアに行くことができないので、代わりに筑波実験植物園へ向かい鳥見をすることにする。


まずはカキの多様性を楽しむ。爆弾みたいな実をつける富士柿の木を見たかったのだが見当たらず。
さてまず池に行ってみたが、カルガモとカイツブリしかいない。こんなものかと思って上を見てみたら、小型の猛禽が小さな円を描いて飛んでいる。と思ったら一瞬で空高く舞い上がり見えなくなってしまったのだが、腹が白かったことや尾の形から、この前宝篋山で見たノスリだろう。


常緑樹コーナーは暗いのでパスをしてまず低木コーナーへ行き、ここから広葉樹コーナーを見やったら鳥より先にヤマカマス(ウスタビガのまゆ)を発見。これによって先日大学構内で拾ったヤマカマスが風で飛ばされてきたものではなく、学内でもウスタビガが繁殖している可能性が強まった。学内で見つかるのも時間の問題だろう。
ヤマカマスの近くへ行こうと広葉樹コーナーに入ったのだが、当然見失う。どうせ発見しても採取は出来ないので諦め鳥探しに専念する訳だが、ここでメジロの集団に出くわす。広葉樹コーナーに侵入しているヒイラギやらなんやらの常緑樹の若木に集まりついばみまくっている様子を間近で観察できたのはなかなかの至福であった。何がいいって、人と出くわさないことである。


さらに先に進むと、シジュウカラに混じって見慣れぬ鳥を見つける。これは恐らくエナガだろう。真下からしか観察できなかったので赤っぽい色が見えなかったのだが、それにしても可愛らしい鳥であった。細い枝先に飛び移っては体重のせいでくるりとひっくり返る、を繰り返していたのである。


残念ながらピントは合っていないがジョウビタキも確認。頭をグッと下に下げたかと思うとすぐ元に戻り、尾をパタパタと上下する運動を何度も繰り返していたのだが、その動きの意味が分からないので笑ってしまった。こういうのは彼にとって失礼なのかもしれないが、トリの動きは610にとってツボであるらしい。他にもトリが真面目な顔で囀っている動画とか実際の姿を見ると、どうにも力が抜けて笑ってしまったりする。しかも、猛禽とかカモではダメで、小鳥の場合に限のだ…


さて植物園散策を終え、ついでに学内の池でも鳥見をしつつ三の矢に戻ることにする。まずは天久保池に向かう。ここにはヒドリガモが沢山いるイメージがあるのだが、パッと池を見てみても1羽しかおらず寂しいなあと思っていたのだが、その1羽を見てみると、今まで観察してきた度のカモともにつかぬ形相をしているではないか。首から下は普通のカモで、顔だけが真っ黒! しかも目の周りが黄色い! 何だこれは!!!
その場ではとりあえずスズガモ的な何かだということで保留しておいたのだが、家で調べてみたらどうやらハシビロガモにとても似ている。いや、正確には黒い顔の部分に緑色の光沢が足りないような気がするが、これは個体差と考えると、他に妥当な絵は見当たらない。まともな写真が撮れなかったのは残念だが、610が大学で確認できた鳥の種類がまた一つ増えたことには変わりない。


さてお目当てのヒドリガモは正面から見えない部分で固まっていた。ここは池畔まで樹がせり出していて視界不良のことこの上ないのだが、立地的に恵まれていてカモたちに気が付かれぬままじっくり観察ができた。こんないい場所を、今までトリに興味がないという理由だけで見過ごしていたのだから勿体ない。ちなみにここに来る途中、カイツブリのような、でも首を動かしながら泳ぐ黒色でない水鳥に逃げられたのだが、バンかオオバンの幼鳥だろうか。オオバンの大人はここにいたので、オオバンでいいのかなあ…
なにはともあれ、木々の隙間からカモがのんびりしている様子を観察するのは何とも楽しいひと時であった。

さてここに来る前、ハシビロガモを見ていた場所からもヒドリガモのたまり場を認知できていたのだが、その時ヒドリガモの中に1羽、明らかに色違いの個体が紛れているのに気が付いた。彼の撮影を試みたのだがこれもまた苦労させられた。幸か不幸か鳥見をしている時にバス釣りのお兄さんがやってきて、全てのヒドリガモが彼に気を取られている一瞬、いいアングルで固まってくれた(その後カモたちはいっせいに飛び立ってしまった…)。


ご覧のように、頭頂部がヒドリガモらしい緋色をしていないだけでなく、お腹のあたりの毛の色も違う。彼はいったい何者なのか?
どうやら、ヒドリガモの近縁種にアメリカヒドリと言うものがいて、この色違い個体はそれである可能性がある。あるいは、ヒドリガモとの雑種個体の可能性もある。と言うより、そちらの方が高いかもしれない。いずれにせよ、あまり沢山見つかるわけではないようなので学内で見つけられていい気分である。このまま春までここに居座ってほしいものだ。

更に松美池へ北進。あーカルガモしかいないなーと思いつつ遠くの方を見てみたら、あったあった。翡翠らしき青い模様が見えたのだ。
しばらくしたらもっと近くへ飛んできた。GXRでも何とか撮影可能そうなので、双眼鏡をも駆使して無理やりな撮影を試みた。




松美池には10月ごろからとあるハクチョウが飛来しており、大学関係者界隈ではちょっとした話題になっているらしい。鳥屋の間で話題に上らないのは、きっとそのハクチョウが手こぎ式だからだと思うのだが、それはさておき、こんな汚い池にもカワセミがいるのである(ちなみに天久保池では確認済みで、今年はまだだが天の川にもいるはずである)。しかも、運が良いと採餌シーンを観察することもできる。実際にこの写真の個体は小魚を華麗にしとめた。すぐ後ろのペデストリアンでは、ちょうど休み時間に差し掛かっていたためか自転車に乗った学生ががやがやと行き交っていたのだが、この喧騒から一時避難するのには恰好のポイントである。大学関係者の読者の皆様、是非活用されたし。

~・~・~

さて明日は粛々と勉強、黙々と電顕バイトを行います。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)