2013年12月18日

卒研先の先生からの問題に答えられない敗北感

今朝は4時に起床。とりあえず発生生物学IIと動物進化学特講の資料の見直しをするのだが…


1週間くらい前からマインスイーパの誘惑に魅せられてしまい、絶対にクリアできないと分かりつつ超上級やマニアに突撃しまくって時間を潰してしまっている。たしかにマインスイーパは神経が研ぎ澄まされていないとできないものなので頭が醒めたり、或いは雑念が入るとできなくなるので余計な記憶を増やさないためには好都合なのだが、そうやって言いがかりをつけてはカチカチやってしまうのはもはや中毒である。

1限:発生生物学II
試験問題を見てみると、持込可能(紙媒体に限る)とのお触書が。これはPCでノートを取っていて、しかもプリントアウトしていない学生にとっては条件的にとても不利だ。せめて先週の講義の最後に一言アナウンスでもあれば良かったのだが、何もなかったのだ。
もちろん610は不利の代表格なわけだが、元から持込不可能だと思っていたので、持込ができ様ができまいがあまり関係のないことであった。とはいっても、細々とした名前については持込不可と違って「ごまかし・省略」が使えなさそうなので、必要なところはハンドアウトを見ながら、覚えていることは見ないで記述し真っ先に退散。成績を予想すると、Bだろうか。

2限:動物進化学特講(特攻)
全部で4問出題されたが、最初の問題が卒研でお世話になるであろう町田先生御出題のもので、無翅昆虫-有翅昆虫体系が近年否定されつつあるが、その理由を答えよ、というものであった。これを前にして、610は挫折した。
まず、これを授業で聞いたことが思い出せない。次に、理由として候補に出てきた「内顎口-外顎口システムの棄却」というトピックについて、これは無翅昆虫の中でもカマアシムシ、トビムシ、コムシに関係のある問題であって、従来のシステムが棄却されたことでこの3グループの系統関係が明らかになりこそはすれ、それが無翅昆虫と有翅昆虫の区別をも薙ぎ払うかというとそうではない。ここからがあいまいなところだが、内顎-外顎の縛りを取り払ったことが、そのまま有翅-無翅の区別を超えることに繋がったのだろうか。ここの関連が分からず、敗北を認めた。
まともに内顎口-外顎口システムの内容については書けるだけの記憶はしていたのだが、書こうとすればするほど問題の意図に沿わない解答を創成しているような気がして書くことができなかった。それでも一言、「分かりませんでした。」とだけ書いて提出するような潔さを抱くこともできず、点数が欲しさに何かを書き残そうとする自分の狡さに対峙し、間違っているとは思いつつ、このシステムの最低限の概要を書いてしまったという行いには後悔が募る。

それから、用語説明と姉妹群を答える問題については、5題中4題を間違えた。まずこれで言えることは、過去1年間学んだことがまったく定着していないことが、そして授業がまったく理解できていなかったことである。つまり610は、分類学や系統学、体系学、進化学の類の研究をしたいと思っていながら、それらの根幹を為す自然分類群とかクレード、カテゴリーについて、知っていそうな顔をしながら知らなかったのである。この時点でもう笑いものだが、もう一つ面白いことは、今まであれほど散々「意識の高さ」をここで露呈してきたのにもかかわらず、その意識が面白いくらいに空回りしていたことが浮き彫りにされたことである。掲示板でバカにされるような「意識高い人」は、しばしば言行不一致が目立つわけだが、読者の皆さんはそれをリアルタイムで観察なされたことになる。

もう少し「意識の高い人」を続けてみると、610は今回の試験の不出来について、全然落ち込んでいない。「あ~やらかしたな~。でもまあいいや!」という感じである。「試験ができなかったのは問題が悪い」とか、「この試験の出来と610の能力の低さは関係がない」とか「試験以前に610には研究者としての人格が破壊されている」とか考えているからである。
一応付け足しておくと、私は強がっているわけではないし、自分は試験で測れない能力に満ち満ちているなどとも思っていない。例えば、今回610が壊滅した用語問題については、直前に目を通していた人は正解できたかもしれないが、610は直前に目を通してない。試験に臨む15分前の段階においては、クレードについて同程度に無知であった可能性もあるわけだ。そういうときに、果たして正解できた人の方が610と比べてクレードについて理解しているかというと、Yesとは言えないだろう。こういうことに思いを巡らせると、用語暗記系の問題では理解度は測れないよなあとか、試験をする意味があるのかなあと疑問を覚え、出来が良かろうが悪かろうが、そのことが心に響かなくなってくる。
―まあ、端的に言えば、Игорьに洗脳されて、哲学カフェで刺激的な考え方を提示されたために、思考体系が歪んでいるだけのことである。

さて成績評価だが、大問をおよそ2つ落としていると考えると、他が多少できていても6割にすら届かない! しかし、これに出席が加味されることを考えると、Cが与えられる可能性がある。ただし、絶対評価ではなく相対評価だということ、周りの皆さんの「できない」とか「テスト勉強全然してないっす!」という「意識の低い」声の信頼性、これらを考慮すればBかもしれない。

なにはともあれ、これにて610の秋ABモヂュールの試験は終了した。

帰宅後とりあえずブログを書きながら、今回のテスト問題の内容を復習するのではなく、筆記試験をすることの意味を考えていた。その一部は動物進化学特攻の欄に反映されているが、よくよく考えると発生生物学IIの試験も概念とか現象とか実験を覚えているかどうか試すような内容であった。果たしてこういう試験問題というのは、学生の理解度を測れるのだろうか。
この手の問題は、大雑把にいえば、一夜漬けで何とかなる類のものである。こういった問題を解かせて単位を与えているが、それでいいのだろうか。610はついこの間まで、この高校受験の延長にあるような暗記に頼って数多の試験を突破してきたわけだが、ここにきてとてつもない無力感にさいなまれている。どういうことかというと、試験はおろか講義の内容が思い出せないものがあまりに多いのである。必修科目といえども、何となく履修して何となく暗記し、何となく単位が来た科目のなんと多いことか! 単位って、試験週間というよく分からない期間に頭の中に詰め込んだ情報を試験日に一気に放出する記憶力ゲームの成績優秀者に与えられる勲章以上の意味を持たないのではないか? そして、その勲章というものは、単位を得たはずの科目の理解については何も保証していないのではないか?
そして人は、この空虚な勲章をもとにその人を判断するのである。Aが多い人ほど優秀で、Cが多い人はダメな人、という具合に。ああ、今の610なら十分よく分かる、これがとんでもない暴力だということが!
もちろん実際に優秀な人はいるだろうし、その逆も然りである。なんというか、ここでは成績評価とほんとうの理解力が一致するようなケースを問題にしているのではなくて、そうではないケースを嘆いているのである。要するに、理解はしていないが要領だけは良い人が優秀だと思われること、深い理解をしているが容量が悪く成績に反映されない人がバカ、ということが何と偏った見方であることか。
確かに成績の良しあしを見るのは便利だし楽で、それが間違いだとは言い切れないが、でもおかしいとは思う。
そういう考え方を、ほとんど試験が卒業に関係しない今頃になって習得したのは、世渡りの上手さでいえばうまかったのだろう。だって、今まではAとかBをとらなきゃ、Cは嫌だなあと思い、試験週間にはイヤイヤ詰め物学習を行い、結果としていい成績を手に入れ、しかも試験が終わってからは授業内容を忘れ、気が付けば100単位以上も習得してきたのだから…ずるさを感じずにはいられない…

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さて明日は全休です。せっかくなので生き物さがしにでも行きたかったところですが、天気が悪いので部屋でじっとしています。
15時から図書館で哲学カフェがあるそうなので、行ってみようかなあ…  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)