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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2013年12月03日

久々に哲学カフェを語る

本日は5時ごろ、近くのループ道路で発生した急ブレーキの音によって眼が覚める。これが殊の外すっきりしていたのは、おそらく急ブレーキ音が「野生動物の道路横断」によって引き起こされたのではないか、だとすれば新鮮なロードキル個体が手に入るのではないか、ループ道路は高速で走れないのだから標本の状態も良好ではないか、何より鮮度が抜群ではないか、などと妄想を繰り広げていたからに違いない。おまけに、この位時間帯ならカラスもまだ活動していないだろうし、清掃業者や同好の志といった「ライバル」はなおさら現れることは無いだろう。
高まる期待を胸に、暖かい格好に着替え、回収道具を携えて外に出てみたのだが…当該車両が止まっていたため現場に近づきづらい。


ということで時間を改め、明るい時間帯に再チャレンジしてみたところ、道路には動物がはねられた痕跡は一切見当たらず、ただただ車によって生じたであろう白いラインが刻まれているだけであった。

なにはともあれ、良い朝を迎えることができた。この時間を有効活用するため、およそ2時間半かけてヘブライ語の予習を済ませる。だんだんと読み解くべき文法項目・単語が増えていき、そのすべてを覚えていない610はいちいち語彙集だとか該当記述箇所に立ち返らねばならず、それにだいぶ時間が割かれてしまう。
その後は木曜日の英語の資料収集を行う。サイエンスに関するプレスリリースを10本集め、そのレビューの英文を創成しなければならないのだが、これがなかなか手強い。とりあえず610はアジア圏の恐竜に関するニュースを拾えばよいことになっていたので、各々の国名+newsと検索してtopに出てきたニュースサイトから適当に記事の抽出をしておいた。

3限:哲学カフェ(聴講)
今日の内容はなかなかに傾聴に値するものであった。具体的に書くのは毎回難しくて省略しているのだが、今回は思い出しながら書いてみることにする。
物を盗むのは悪いことなのか、という話から始まり、悪いことつながりでさっちゃんが最近対応しているというハラスメントの問題が紹介された。これはある研究室内でAという学生がほめられまくって舞いあがり、周りの学生にあれこれ文句を言うのだという。「お前最近化粧が濃くなったなあ。研究ができないからってその道に逃げるのか」とか「お前バイト入れまくっているみたいだけど、そうやって研究ができない口実にしようとしているんだろ」という具合である。こう言われた学生たちは、彼が正論を言っていると思い、言い返せないだけでなく、そう言われてしまうのは自分が悪いからだと思い込んでしまうのだという。これがどんなに深刻かというと、Aの文句に耐えきれなかった学生が退学してしまったというのだから恐ろしい。
この事例からどういうお話になったのかというと、自分が悪いと思い込むのはどうしてなのか、化粧をすることと研究はそもそも関係ないことではないか。というか、「○○ができない」ということは、ものごとをほんの薄っぺらな一表面からしか見ていないゆえでの発言であって、そんなことで本当に「できない」と言えるのだろうか。数学Aのテストで確率分野が壊滅していたことだけをもって「自分は数学ができない」というのは、よく考えてみるとおかしくはないだろうか。

―でも、このAという人は「悪い」のだろうか。悪いというレッテルを貼り付けることはどうなのか。Aはもしかしたら「悪い」と思ってやっていないかもしれない。Aはただ、自分の行いの勘違いぶりに気が付いていないのではないか。そういう意味では、Aも被害者かも知れない。
確かにAを罰するとか叱ることには意味があるのかもしれないが、建設的ではないだろう。時間がかかっても、話せばわかるはずである。

(以下、記憶があやふや)
私たちは知らず知らずのうちに、何か絶対的な規範―父―があるように思っていて、それを破ってしまうことにとてもおびえている。でも、本当にその父が絶対唯一の存在なのだろうか。哲学というものは、この父を裏切ること、自分たちが勝手に信じている小さな父を捨てて、ほんとうの父を見つけ出すための旅に出るためのエンハンサーなのである。
「ほんとうの父」がいるかって?それは分からない。おそらく、絶対たどり着くことはできないだろう。でも、目標が無いと旅をすることができない。いや、目標自体が無くても良いのである。大事なのは、とにかく旅を始めること。父への旅ではなく、父からの旅ということだ。

(特に印象的であったこと)
先週はある人が「みんなの議論を聞いていて、自分が攻撃されている気がしてつらい」と申し出たのだが、誰もあなたを傷つけようなんて思っていないし、誰もがそういう傷を持っているのであるのだということを話した。今週はその人が、今までの話を聞いてきて、今まで自分が絶対だと思っていた父に従う必要がないことが分かりかけてきた、そういうことが分かって嬉しい、という旨の発言をしたのだ。
このときのさっちゃんが言ったことがなかなか妙であると思うのだがどうだろう:こういう嬉しさって、テストでいい点が取れた嬉しさとは全然違うよね。そうではなくて・・・

悲しいことに、何と言ったか忘れてしまった!

忘れてしまったので、哲学してるんだなあと思えた話を付しておこう。
ある人が、かつては傘を盗んだりすることに悪気を感じなかったといった。そのことに対して、ある人が「それはモラルの問題なんじゃないかな」と言ったが、これをきいたさっちゃんが何といったか:そうやってモラルっていう何だかわからない決まりに縛ってしまうことは哲学的ではない。そういうモラルとか決まりが変だなあと思っているから、みんなはここに来ているんでしょう?

4限:ロシア現代文化特講b
今日も淡々と露文和訳。久々に文章を読んで訳する担当になったのだが、出来が悪い。


授業後、電顕バイトに向かうまでに少し余裕があったので渋柿の木の様子を見に行ってみたのだが、手に届く範囲の柿だけが見事に無くなっているのと裏腹に、込み入ったところとか少し高いところにある柿はたわわに実ったままであった。干し柿づくり第3弾も現実化しそうだ。
ところでこの柿の木のそばにはケヤキがあるのだが、ここにカワラヒワが数羽群れて枝に残っている葉っぱか木の実かをついばんでいる光景が見られた。身近で黄色い鳥を見ることが今までなかったことと、鮮やかな色が急速に消えつつあるこの季節柄、ずいぶんと見ごたえを感じる。

~・~・~

今日の哲学カフェではもう一つ、自分の今の気持ちに引っかかる話題がありました。それは、この哲学カフェで話しているようなこと、というよりも哲学カフェでの態度とか考え方を、この場所の外でもやってみたらよいというものでした。ひょっとしたらこの提案に難解な何かを感じている方がいるかもしれませんが、そんなものは全くありません。単に、「人と話そう」ということです。

実際のところ「人と話したい」という欲求は以前より強くなっているように感じています。これは「一人でいることが寂しい」ことではないと思います。610は一人でいる時間が長くないと精神の安寧を保てません。もちろん、3週間後がクリスマスイブだという事実が厳然と存在しますが、何も感じません。この日に恋人と甘いひと時を過ごすことを若者に強いるような風潮も、このイベントを呪うような怨恨も、父の規範に従わざるを得ない人たちが生み出した幻想のようにすら見えます。
話がそれましたが、要するにこういった(610も含めて)多くの人が抱いている父を壊すような恐ろしいことを話したいということです。きっと、このブログを読むことに抵抗がない読者の皆さまとは、いろいろ面白いことが話せそうな気がするのですがねえ…

そんなことを考えながら、明日のプレゼンの仕込みをしていきたいところです。  続きを読む


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)