2014年01月14日
目覚めの悪さが1日の活動に影響する
昨晩は論文を読みつつ、A氏と議論を交わして疲れ果ててしまった。休戦協定を申し入れて就寝…
今朝は7時半に起床。かなり目覚めが悪いだけでなく、「左目の乱視の度合いが激しくなる」症状が付随するものだから、この先が思いやられる。
2限:生物多様性情報学lll
リレーショナルデータベースの用語説明の続きを行ってから、正規化についてのお話を聞く。
この講義はどういうわけか居心地がよい。中身は大雑把だし、そもそも情報系の背景知識が欠落しているので理解が薄っぺらになってしまうのだが…いや、実はそう思っているだけで、本当は日本語を知らないのかもしれない。
3限:哲学カフェ(聴講)
すごく面白い話をしていたと思うのだが、なんだか輪の中に入り込めなかった感じがした。おそらく主たる原因は頭が完全に目覚めていなかったからだろう、それにしてもなんと勿体ないことか…
もちろん、上手く言えないが自分の言葉を言うのは大事だが、そうやって時間を潰すより、サクサクと発言できる人の意見を聞く方がためになるのでは、などと思ってしまうのである。おそらくこういう考えをしている時点で完全にこの講義を楽しめていないのだろう。本当に楽しくなると、自分の意見(能力、技術、その他いろいろ)が他の人より劣っているだとかどうとか考える前提が存在していないだろうから・・・
4限:ロシア現代文化特講b
淡々と露文和訳。眠気のせいか集中力がいつもより散漫なこともあるが、ロシア語力がガタ落ちしているような気がしてならない。確かに意欲が低下しているのは否めないが、週1の授業のために予習をする2時間しかロシア語に触れていないのだから、ずっと同じレベルをキープするのは難しいだろう。
とりあえず今の問題点は、やれ専門語学(英語)だ、やれ生物学演習だ、やれTOEICだなどと抜かすことで「今はロシア語ではなく英語に向き合う時である」と思い込もうとして、その姿勢を正当化しようと思っている自分の態度である。そう、英語もロシア語も一緒に勉強ができるというのに、それをしようとしないところが逃げの姿勢であって、糾弾すべき態度なのだ。
この頽廃した現状は、菅平に行くことで打破できるだろうか…
~・~・~
明日は昆虫ずくしの水曜日です。生物学演習やカワゲラのいろいろについて、町田先生に相談しなければいけません。
では、追記の方でA氏との議論を続けます。
今朝は7時半に起床。かなり目覚めが悪いだけでなく、「左目の乱視の度合いが激しくなる」症状が付随するものだから、この先が思いやられる。
2限:生物多様性情報学lll
リレーショナルデータベースの用語説明の続きを行ってから、正規化についてのお話を聞く。
この講義はどういうわけか居心地がよい。中身は大雑把だし、そもそも情報系の背景知識が欠落しているので理解が薄っぺらになってしまうのだが…いや、実はそう思っているだけで、本当は日本語を知らないのかもしれない。
3限:哲学カフェ(聴講)
すごく面白い話をしていたと思うのだが、なんだか輪の中に入り込めなかった感じがした。おそらく主たる原因は頭が完全に目覚めていなかったからだろう、それにしてもなんと勿体ないことか…
もちろん、上手く言えないが自分の言葉を言うのは大事だが、そうやって時間を潰すより、サクサクと発言できる人の意見を聞く方がためになるのでは、などと思ってしまうのである。おそらくこういう考えをしている時点で完全にこの講義を楽しめていないのだろう。本当に楽しくなると、自分の意見(能力、技術、その他いろいろ)が他の人より劣っているだとかどうとか考える前提が存在していないだろうから・・・
4限:ロシア現代文化特講b
淡々と露文和訳。眠気のせいか集中力がいつもより散漫なこともあるが、ロシア語力がガタ落ちしているような気がしてならない。確かに意欲が低下しているのは否めないが、週1の授業のために予習をする2時間しかロシア語に触れていないのだから、ずっと同じレベルをキープするのは難しいだろう。
とりあえず今の問題点は、やれ専門語学(英語)だ、やれ生物学演習だ、やれTOEICだなどと抜かすことで「今はロシア語ではなく英語に向き合う時である」と思い込もうとして、その姿勢を正当化しようと思っている自分の態度である。そう、英語もロシア語も一緒に勉強ができるというのに、それをしようとしないところが逃げの姿勢であって、糾弾すべき態度なのだ。
この頽廃した現状は、菅平に行くことで打破できるだろうか…
~・~・~
明日は昆虫ずくしの水曜日です。生物学演習やカワゲラのいろいろについて、町田先生に相談しなければいけません。
では、追記の方でA氏との議論を続けます。
まずA氏へ:
もし610の意見にコメントがある場合は、ブログでもtwitterでもいいので、好きな方で表明してください。
ただし、ブログにコメントされた場合、反映に時間がかかります。twitterの場合、レスポンスは早いですが、内容は薄っぺらいかもしれません。
次に、昨日までの議論の内容です:
茨城県の成人式についてどう思うか尋ねられたので、13日の午前中に掲載したこの記事に則って、一般人の危険性を指摘しました。
(中略:気になる方はわたしのtwitterページから2014.1.13日のtweetを検索してみてください)
で、ひとまず戦争を持ち上げたのは突飛かもしれないが、常識に浸かっている「一般人」が、常識の枠を超えている人を叩いているという点で、構造としては同じだろうという指摘をして今に至ります。
で、A氏の怒涛のtweetを見ていくつか気付いたことがあります。
1.成人式に実際に参加しているか否か
610はねじまがっていたので成人式には参加していませんが、A氏は参加したのかもしれません。実際に成人式に参加して、ハデハデした新成人たちの振る舞いを目の当たりにしたのでしょう。ところが、610は成人式そのものに参加していません。当時は、そういった新成人と一堂に会するなどあり得ない!と思っていたと同時に、成人のお祝いとしてのべられるオトナたちのきれいごとに堪えられそうもなく、それなら奥多摩でガロアムシを探している方がましだと本気で考えていました。
A氏は実体験に基づく怒りがあって、610はそういうものが無く机上の空論のように捉えている、そんな認識の違いがあるように思いました。
2.迷惑について
式の進行を妨害したり、法律に抵触するような行動について、A氏は「周りに迷惑をかけている」と思っているようです。この結果、周りの人たちの「迷惑を受けない状態≒いやな気持になりたくない」状況に反しているからおかしいぞ、と見るようです。
う~む、610としてはそこに引っかかりを感じます。
迷惑とか、周りの人たちの「いやな気持になりたくない≒いい気持ちでいたい」気持ちを優先して、個人の意見を排除する構造は健全ではないと思います。結局、また例の「常識」がどうのこうの・・・という話になってしまいます。
A氏の思っていることに応えている気がしません。ズレているのが分かっていながら向き合わずにいて申し訳ないのですが、必要であったら再度指摘してください。代わりに、一つ具体例を創成します。
新成人が市長が訓辞を述べている時、騒ぎはじめました。終いには壇上に登ってきてしまいました。
こういう時、「黙れ!」と言って意見を排除するとか、会場から追放するといった行為って、「大人の対応」でしょうか。
こういう事態が起こった時、準備してきた原稿を読むことを優先するのではなくて、
「どうして君たちはそういうことをするのか」
「私は君たちの振る舞いにとても怒っている。だけど、君たちがここでこうしていることもよく分かる」
「中卒で将来お先真っ暗だとか、そういうことは本当にどうでもいいこと」
「大事なのは、そうやって肩書きに縛られてしまって自分の未来を自分で閉ざしてしまっていることに気付くこと」
「今年の成人式は君たちのせいでぶっ壊れてしまったかもしれないが、そうではない。君たちが成人式をぶっ壊したわけでもない」
「君たちがぶっ壊したのは、オトナ達がつくっている常識という世界なんだ」
「ありがとう。ぼくには君たちのような若い世代の力が必要なんだ。それがよく分かったよ。」
「だって、今の常識がおかしいって思っているんだろう。そうじゃなきゃ、こんな暴力に訴えることは無い」
「でも暴力で自己主張していいのは、せいぜい中学生くらいまでだ。君たちは今日成人式を終えて立派な大人になるための第一歩を踏み出す。だから、暴力ではなく、対話によって意見を言い合っていこう」
「そして、より良いつくばを築き上げていこう。約束だよ!」
こんな感じに話したとしたら、どうでしょう。すごい!と思いませんか?
少なくとも610は目が覚めます。
3.なぜ成人式の場でやるのか
上に書いたことと被りますが、成人式の場って結構規模が大きいじゃないですか。つくばだったらこんな感じで、少なくとも1000人位の新成人と、市長とか国会議員といった人たちが一堂に集結します。場合によっては、TV中継されるかもしれず、地域を超えた人たちの注目を受ける可能性もあります。
こういう場所って、いっぺんに多くの人にメッセージを伝えられる、良いチャンスだと思いませんか? しかも集まっている人たちって、年齢層はほぼ一定ですが、就職している人もいれば学生やっている人もいるし、結婚している人もいれば市外出身の人だっているかもしれません。こういう成人式の性質を踏まえると、否が応でも注目を浴びることになります。
4.礼儀知らず/身の程知らずについて
ある程度の人格を備えていないと発言をしてはいけない、考えの浅い幼稚な行動はしてはいけない! と断罪するのって、窮屈じゃないですか? そういうことで型に縛り付けて、自由な発想を許さない姿勢は、生産性が期待できません。
研究分野でいうと、大御所のいう(実は誤りの)意見について、ポスドクの研究者が(正しい)意見を主張しても、「お前は若いから何も知らない」とか「分子の端くれで形態の何が分かるのか!」退けられてしまうようなケースと似ているように思えます。
「成人式と研究に何の関係性があるっていうんだ!」と、戦争の例のような無茶苦茶さを感じるかもしれませんが、あの図のような構造を考えてもらうとよいです。
5.反戦と成人式を比べる
戦時中は戦争するのが当たり前で、後生になってその愚かさが指摘されました。
これとまったく同じように、成人式で静かに過ごすことが当たり前の世界から、いつかはドンパチやることが当たり前の世界へ変貌する可能性だってあり得ます。
意味不明だと思いますが、「常識」は180度転換することを歴史は物語っています。成人式で騒ぐこと自体は20歳の1回しかチャンスがありませんが、毎年違う誰かが同じことをすることは可能なので、その意味でああいった騒動は繰り返されます。
※610は価値判断をまったく考慮していません。
5.考えて行っているのか
彼らはたぶん考えてやっていません。そして、彼らと同じように、私たちも考えていません。
どういうことかというと、成人式という儀式を厳密に遂行しようと考えている人はおそらくいません。
自分で書いていて意味不明ですが、何かものごとを考えて行うって難しくないですか? 数学の問題を解くとか、研究するとかといった考えとは別の「考えること」についてです。朝起きてから寝るまでの全ての行動を「考えて」行っているでしょうか? 逐一、自分の行動を論理的に筋道立て実行に移しているでしょうか?
もう少しまともに書こうと努力します。
成人式で暴れたって常識は変わりません。180度変わることなどあり得ないでしょう。そして、彼らはきっと深く考えていません。「常識をぶっ壊す!」などと文字通り認識している人はいないんじゃないですかね。
でも現実に成人式で暴れる人たちが居ます。たぶん、何かに対して不満を抱いているのですが、それが何だかよく分からないのです。思考出来る体系に落とせていない、といってもいいでしょう。
こういうモヤモヤした気持ちって、誰だっていつも抱いているものじゃないですか。そういうものを考慮するかしないかで、彼らに対する印象が変わると思います。
そして、彼らはそれをどう処理するか習っていない。流れに沿って言うと「常識」をすり込まれていない。だから「常識」をもつ我々にとって不快な行動を起こす。それが、「考えを持って行動しているようには見えない」と映るのでしょう。
―すみませんが、上手く言えそうにないです。パスさせてください…
終わりに:
断っておきますが、610は問題行動を起こす新成人を贔屓しているつもりはありません(記述が下手なのでそう見えてしまうかもしれないが)。
あと、上の文章には矛盾や虚偽、欺瞞があふれていると思います。推敲していませんし、論理構造を厳密に検討していないので、モレがありまくりです。そこをあげつらって罵倒されると、受け入れはしますがまっとうな応答ができないかもしれません。
もし610の意見にコメントがある場合は、ブログでもtwitterでもいいので、好きな方で表明してください。
ただし、ブログにコメントされた場合、反映に時間がかかります。twitterの場合、レスポンスは早いですが、内容は薄っぺらいかもしれません。
次に、昨日までの議論の内容です:
茨城県の成人式についてどう思うか尋ねられたので、13日の午前中に掲載したこの記事に則って、一般人の危険性を指摘しました。
(中略:気になる方はわたしのtwitterページから2014.1.13日のtweetを検索してみてください)
で、ひとまず戦争を持ち上げたのは突飛かもしれないが、常識に浸かっている「一般人」が、常識の枠を超えている人を叩いているという点で、構造としては同じだろうという指摘をして今に至ります。
で、A氏の怒涛のtweetを見ていくつか気付いたことがあります。
1.成人式に実際に参加しているか否か
610はねじまがっていたので成人式には参加していませんが、A氏は参加したのかもしれません。実際に成人式に参加して、ハデハデした新成人たちの振る舞いを目の当たりにしたのでしょう。ところが、610は成人式そのものに参加していません。当時は、そういった新成人と一堂に会するなどあり得ない!と思っていたと同時に、成人のお祝いとしてのべられるオトナたちのきれいごとに堪えられそうもなく、それなら奥多摩でガロアムシを探している方がましだと本気で考えていました。
A氏は実体験に基づく怒りがあって、610はそういうものが無く机上の空論のように捉えている、そんな認識の違いがあるように思いました。
2.迷惑について
式の進行を妨害したり、法律に抵触するような行動について、A氏は「周りに迷惑をかけている」と思っているようです。この結果、周りの人たちの「迷惑を受けない状態≒いやな気持になりたくない」状況に反しているからおかしいぞ、と見るようです。
う~む、610としてはそこに引っかかりを感じます。
迷惑とか、周りの人たちの「いやな気持になりたくない≒いい気持ちでいたい」気持ちを優先して、個人の意見を排除する構造は健全ではないと思います。結局、また例の「常識」がどうのこうの・・・という話になってしまいます。
A氏の思っていることに応えている気がしません。ズレているのが分かっていながら向き合わずにいて申し訳ないのですが、必要であったら再度指摘してください。代わりに、一つ具体例を創成します。
新成人が市長が訓辞を述べている時、騒ぎはじめました。終いには壇上に登ってきてしまいました。
こういう時、「黙れ!」と言って意見を排除するとか、会場から追放するといった行為って、「大人の対応」でしょうか。
こういう事態が起こった時、準備してきた原稿を読むことを優先するのではなくて、
「どうして君たちはそういうことをするのか」
「私は君たちの振る舞いにとても怒っている。だけど、君たちがここでこうしていることもよく分かる」
「中卒で将来お先真っ暗だとか、そういうことは本当にどうでもいいこと」
「大事なのは、そうやって肩書きに縛られてしまって自分の未来を自分で閉ざしてしまっていることに気付くこと」
「今年の成人式は君たちのせいでぶっ壊れてしまったかもしれないが、そうではない。君たちが成人式をぶっ壊したわけでもない」
「君たちがぶっ壊したのは、オトナ達がつくっている常識という世界なんだ」
「ありがとう。ぼくには君たちのような若い世代の力が必要なんだ。それがよく分かったよ。」
「だって、今の常識がおかしいって思っているんだろう。そうじゃなきゃ、こんな暴力に訴えることは無い」
「でも暴力で自己主張していいのは、せいぜい中学生くらいまでだ。君たちは今日成人式を終えて立派な大人になるための第一歩を踏み出す。だから、暴力ではなく、対話によって意見を言い合っていこう」
「そして、より良いつくばを築き上げていこう。約束だよ!」
こんな感じに話したとしたら、どうでしょう。すごい!と思いませんか?
少なくとも610は目が覚めます。
3.なぜ成人式の場でやるのか
上に書いたことと被りますが、成人式の場って結構規模が大きいじゃないですか。つくばだったらこんな感じで、少なくとも1000人位の新成人と、市長とか国会議員といった人たちが一堂に集結します。場合によっては、TV中継されるかもしれず、地域を超えた人たちの注目を受ける可能性もあります。
こういう場所って、いっぺんに多くの人にメッセージを伝えられる、良いチャンスだと思いませんか? しかも集まっている人たちって、年齢層はほぼ一定ですが、就職している人もいれば学生やっている人もいるし、結婚している人もいれば市外出身の人だっているかもしれません。こういう成人式の性質を踏まえると、否が応でも注目を浴びることになります。
4.礼儀知らず/身の程知らずについて
ある程度の人格を備えていないと発言をしてはいけない、考えの浅い幼稚な行動はしてはいけない! と断罪するのって、窮屈じゃないですか? そういうことで型に縛り付けて、自由な発想を許さない姿勢は、生産性が期待できません。
研究分野でいうと、大御所のいう(実は誤りの)意見について、ポスドクの研究者が(正しい)意見を主張しても、「お前は若いから何も知らない」とか「分子の端くれで形態の何が分かるのか!」退けられてしまうようなケースと似ているように思えます。
「成人式と研究に何の関係性があるっていうんだ!」と、戦争の例のような無茶苦茶さを感じるかもしれませんが、あの図のような構造を考えてもらうとよいです。
5.反戦と成人式を比べる
戦時中は戦争するのが当たり前で、後生になってその愚かさが指摘されました。
これとまったく同じように、成人式で静かに過ごすことが当たり前の世界から、いつかはドンパチやることが当たり前の世界へ変貌する可能性だってあり得ます。
意味不明だと思いますが、「常識」は180度転換することを歴史は物語っています。成人式で騒ぐこと自体は20歳の1回しかチャンスがありませんが、毎年違う誰かが同じことをすることは可能なので、その意味でああいった騒動は繰り返されます。
※610は価値判断をまったく考慮していません。
5.考えて行っているのか
彼らはたぶん考えてやっていません。そして、彼らと同じように、私たちも考えていません。
どういうことかというと、成人式という儀式を厳密に遂行しようと考えている人はおそらくいません。
自分で書いていて意味不明ですが、何かものごとを考えて行うって難しくないですか? 数学の問題を解くとか、研究するとかといった考えとは別の「考えること」についてです。朝起きてから寝るまでの全ての行動を「考えて」行っているでしょうか? 逐一、自分の行動を論理的に筋道立て実行に移しているでしょうか?
もう少しまともに書こうと努力します。
成人式で暴れたって常識は変わりません。180度変わることなどあり得ないでしょう。そして、彼らはきっと深く考えていません。「常識をぶっ壊す!」などと文字通り認識している人はいないんじゃないですかね。
でも現実に成人式で暴れる人たちが居ます。たぶん、何かに対して不満を抱いているのですが、それが何だかよく分からないのです。思考出来る体系に落とせていない、といってもいいでしょう。
こういうモヤモヤした気持ちって、誰だっていつも抱いているものじゃないですか。そういうものを考慮するかしないかで、彼らに対する印象が変わると思います。
そして、彼らはそれをどう処理するか習っていない。流れに沿って言うと「常識」をすり込まれていない。だから「常識」をもつ我々にとって不快な行動を起こす。それが、「考えを持って行動しているようには見えない」と映るのでしょう。
―すみませんが、上手く言えそうにないです。パスさせてください…
終わりに:
断っておきますが、610は問題行動を起こす新成人を贔屓しているつもりはありません(記述が下手なのでそう見えてしまうかもしれないが)。
あと、上の文章には矛盾や虚偽、欺瞞があふれていると思います。推敲していませんし、論理構造を厳密に検討していないので、モレがありまくりです。そこをあげつらって罵倒されると、受け入れはしますがまっとうな応答ができないかもしれません。
Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)