2014年05月13日

610のセミナーは荒れないだろうか

「昼休みも電話取れ」に非難の声 「メシ時に電話かけてくんなや!」 | ニコニコニュース
電話に出るか否かで揉めるなら、最初から電話を通信の手段として利用しなければいいと思ってしまうのだがどうだろう。そもそも、お昼休みに当たる時間帯に電話をしなければいけない事案があることがおかしいのかもしれない。ほんの1時間程度の余裕も許されない現実が生き辛そうである。
ちなみにお昼にロシアの銀行に行ってみたところ、建物の中には入れるが、職員がお昼を食べにいなくなって利用できない現実に直面した。近視眼的には利用者の利便性など全く考慮されていない、視野を広げればお昼休みに職務の一斉放棄が当たり前になっている余裕があって羨ましい。

旧日本軍のコスプレ ナチズムの復活は歴史の観点からすれば驚くに値しない - Market Hack

小さいころは日本で戦争が起こることは無いとか、未だに戦争をやっている国はおろかだなあ思っていたが、その見解は楽観的で幼稚であったことがよく分かる。

ストレスを感じる思い込み「感情的決めつけ」に気をつけよう - NAVER まとめ
A氏よ、あなたのtweetや過去のお話の内容からは感情的決めつけが強く感じられます。

なんでぼっちは人としての評価が低いの?
孤高の天才という、一人ぼっちでいることを評価するような言葉があるのだから、一人ぼっちでいること自体が評価を下げているわけではなかろう。そうではなくて、ある人の行為が不可解であるから、行為とぼっちを結びつけて評価を下げているだけに過ぎないのではなかろうか。
こう考えると、例えば結婚している人が不可解な行為をしていたら、「あんな変な人が結婚できたなんて信じられない」が成り立つだろう。つまり、評価の如何は行為の不可解さが独りでいるのか結婚しているのかに先行しているのであり、でもぼっちであるとか結婚しているのに…という表現が声高に主張されてしまうのは、それが行為よりもカテゴリとして認識しやすいからなのである。
―うーむ、我ながら分かりにくい文章である・・・

マイルドヤンキーには選択肢がないという話 - 価値のない話

マイルドヤンキーという人たちが、積極的に何かの属性を選択しているような感じがするが、実際はそうではなく、選択肢として与えられている属性がそもそも限定されているということだと思う。
ふと生物学類生としての自覚というわけの分からない文言が思い浮かんだのだが、マイルドヤンキーという現象を見て、ああこれはある意味で自然選択だなあ、と判断したとすると、それが正しいのか誤りなのかよく分からない。例えば、絆という言葉やEXILEが好きじゃないと宣言して仲間外れにされたとしたら、その人はある集団から淘汰されたように見える。淘汰された人が上京して新たな文化を吸収していくさまは進化のプロセスみたいに感じるが、こういった置き換えが無意味であることは承知の上である。

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今朝は7時起き、9時出発。午前中はいつものように作業を行い、午後は菅平セミナーに参加。同期のK君と別の研究室に所属するN君の発表を聞く。
最近GXR P10の調子が悪く(テレ端でぼやけて写真が撮れない、200mm以降のズーム不可)どうしようか考えていたのだがS10のレンズが6000円くらいで中古品が出回っていることが分かり即購入。性能はS10の方が良いようなので楽しみである。なお修理に出すことを考えているがケースが実家にあるのでしばらく出すのは控えておきたい。
N君が調査先でヤマドリの羽を大量に拾ったそうで見せてもらい、セミナーを含めていろいろな議論をする。彼の研究はカワゲラに支配される人生が胡散臭く見えるくらいハードそうだが、今日のセミナーで色々な意見を得られたと思うのでうまくいってほしいものである。

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明日はゼミです。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(0)