2020年11月10日

2020. 11. 10 の人生

午前中はコオロギとトンボの超薄切片作製。コオロギはわりといい感じに切れた一方でトンボが今回はダメである。午後、電子染色をしてからちょっとしたサンプルの仕込みをする。『フィールドの観察から論文を書く方法』を読み始めたが、なかなかいい感じの本である。

私はしばしば、よその人からは穏やかな人物像をあてはめられているらしい。「よかったねそう思われていて、でも頭の中は大爆発しているくせに」と主人に真実を指摘されてしまったのだが、ここでふと、じゃあ逆はどういう人なんだろうかと考える。つまり、行動は爆発しているのに、心の中はいたって平静な状態にある人。そんな人いるのだろうか、何か特異な精神状態に達していないとなし得ないんじゃないか、などと思っていたのだが、主人曰く、家にいるお前はそれそのものだという。全力で否定したかったのだが、思う節がないわけでもない。かつて私は主人の前駆体の前でパスタを食べたとき、いつものようにそばと同じように豪快にすすったのだが、それは本当にあり得ない行為であると幻滅されてしまった。そもそもパスタをすすることがありえないし、すする音が大きすぎて不快の極みだという。同様に納豆に関しても水道管のような音を立ててすすっているのをお願いだからやめてほしい、と懇願されたこともある。これらは主人(前駆体含む)にとっては爆発している行動にみえる一方で、当の本人はいたってのほほんと食っている。まったくあきれたものだが、上述の内容な今後の人間関係に深刻な影響を与えかねないので、最近は慎むようにしている。
さて、今晩も納豆の食べ方について議論が起こってしまった。これもまた爆発の系譜なのかもしれないが、言葉にするといささか下品なのでできる限り婉曲に表現したい。納豆を混ぜると豆と豆の間にねばねばした物体が生じる。どうにも私はこれと豆を一緒に味わいたくないらしく、しかるべき分離操作をしかるべき場所で実施したのち、豆の触感や風味を楽しんでいるのだが、その間は無口にせざるを得ない。その一瞬を主人が見逃すはずもなく、何をしているのだと指摘してくる。これこれこういう作業が忙しくて会話を中断せざるを得ないのだ、と答えるしかないわけだが、主人は私がさも平然と答えたことに驚きあきれて言葉を失ってしまった。まあ、すするのと違って実害はないからいいけど…とのこと。うーむ、納豆の食べ方一つをとっても奥が深いものである。



Posted by Impulse610 at 21:09│Comments(0)
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