2012年08月02日

実習を終えて思ったこと

さて、8/9あたりまで日記の更新を放棄するわけですが、今回は実習を終えて思ったことをつらつらと書いておきます。

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私はあまり悩んだりくよくよしたりすることをせずに今まで生きてきたように思うのだが、先月の陸域生態学実習でのS君とのやり取りで受けたショック(?)が相当深いものだったらしく、夜な夜なその時のことがフラッシュバックして私を悩ませる。

その悩みを端的に表せば、「自分の無能さ」と言えそうだ。では、何の能力が無かったのかというと、統率力の無さはもちろんのことだが(自分がやりたい!と思う時以外、人の上に立つのは避けたいと切に思った)、今回それ以上に尾を引いているのは、「論理的思考力の無さ」である。

そのことがもっとも屈辱的な形で明らかにされたのは、全体ミーティングで各グループごとに発表をする時であった。およそA4用紙1枚程度のレジュメを用意して、それを3分でまとめて口答で発表を行う。それから参加者全員の質問を受けるのであるが、我が受け答えの破綻ぶりといったら目も当てられない! 質問にはYesNoで答えるのがやっと、しかもそれすら内容と矛盾することがあったのだから、卒研発表でやったら留年は免れなかろう。

発表の前に行うグループミーティングの段階で、私の頭の中では「なにに着目すればよいのか」「仮説の根拠はなにか」「この値の意味は」などなど、まったく理解していない状態で時間ばかりが過ぎていった。しかもレジュメに関しては印刷する段階でようやく目を通せたこともあったものだから、ボコボコにされるだろうという覚悟ができるだけの余裕はあった。ここは議論というよりはメンタルトレーニングの場だ、と勝手に内容をすり替えでもしないとやっていけないだろうなあとは思っていたのだが、実際集中砲火を受けている中、自分の劣等感と、どことなくそれに同情していただいている周囲の暖かな?空気とが醸し出す居たたまれなさは書くに堪えない。帰りたい、というか、この場から消えてしまいたい、と思わずにいられるほどの図太さは、まだ私にはない。

「なにに着目すればよいのか」「仮説の根拠はなにか」「この値の意味は」などなど、まったく理解していない状態

というものが皆様には不可解に感じるかもしれない。実際のところ、どうしてこうなってしまったのか今でも断定することが難しいのではあるが、ここに行きつくヒントとなりそうなものは思い浮かぶ。すなわち、「疑問が浮かばない」ということである。これはおよそ「質問が浮かばない」と言い換えもできよう。
他人の発表を聞いている際、パッと質問ができる人を見ていて「どうしてこんな短時間でこんな質問ができるのかなあ」と常々思うのであるが、普段からなぜ?と問うことなく何となく過ごしていることもまた、論理的思考力の強化を妨げているのだと思いたくなる。

数学ができない、ということと、論理的思考力が無い、ということはイコールでないことはよく分かっているつもりではあるが、残念なことに610は数学力も論理的思考力も持ち合わせていないらしい。前者は、例を挙げれば入試での結果(96/400点)に、後者は実習でのお粗末な発表(書いてある内容と逆の返答をしたり、意味不明な発言をしたり)、およびその応答にあらわれている。
実習参加者の中に果たしてこのブログを閲覧されている方がいるのか分からないのだが、私の話す内容の節々におかしさを感じられていたに違いない(話下手なことはこの際目をつぶっていただきたい。それと、曲がりなりにも研究職に就きたいと考えている以上、数学ができないことは致命的だという心得はあるから、何らかの対策は取る必要があることは十分承知している)。

ここまで論理的思考力という言葉で無能さを表してきたのだが、私の応答が停止した際の実際の感覚としては、英会話中に言葉に詰まって固まる、そんな状態と同じようなものであった。
私にはロジックという文法にのっとって、専門用語を駆使する科学語のスキルも圧倒的に不足しているのかもしれない。

生物学を勉強すること自体には個人の能力がどうこう、といった相関があるとは思っていない。ただ、曲がりなりにも研究職に就ければいいなと考えているような私が、実習に参加してこのような事態を招いてしまった事実を考慮したら、およそ肯定的な見方は出来ようがない。

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自分の能力に疑問を感じさせる主な要因となったのは、おそらくミーティングの時よりも、グループメンバーのS君とのやり取りによるものが大きいと思う。あまり彼のパーソナリティーを紹介する意味はなさそうだが、端的には「出る杭」と言えそうだ。
私の曖昧模糊な発言が理解できないのは彼に限ったことではなかったのだが、彼はその都度私に「分からない」「具体的に言って!」言葉に詰まっていたり謎めいた応答をすると、「理解が浅い!」と申してくる。
私の中では、彼が私をいじめたくてそういっているわけではないことは分かっていたつもりである。彼とは議論の後に語り合ったりもしたので、彼自身の考えと体験談、そして思いがけないっ謝罪(私がこうも無能なことに対して、もっと早いうちからサポートしておくべきだった)から、彼の人となりはよく分かっていたつもりである。

浪人生時代に中島義道に傾倒したり、近頃だと白洲次郎の伝記ものを読んで共感したように、私はこのタイプ(こう大雑把にまとめてよいのかは疑問なのだが)の人たちにはある種の憧憬がある。そして彼らの言葉はストレートに来るものだと思い込んでいたので怖がる必要は無く、正論だったら認めればよいし、同意できなかったらこちらもはっきりおかしいと言えばよいと思っていた。
だが、少なくとも私が意識し始めてから、こういう人たちと身近にやり取りをしたことが無いため、特に率直な言葉に対する耐性が欠如していたので「傷ついてしまった」ことは否めない。

彼は「私の言っていることが分からない」以上のことは言っていないのだが、それは610には「自分を否定されている」と思いそうになる。そういう意図がないことは理解しているつもりなのだが、無意識的に自分のプライドを守ろうとしてしまったのだろう。本当はここで冷静になって論理的に物事を考えていかなければいけないのだが、どうせ今の自分は、誰にも通用しないことしか話せないのだろうなあ、とか、またミーティングでつるし上げられるのかなあ、など、然るべき方向から逸脱したことばかり脳裏をよぎってしまい、気が付けば頭の中が真っ白、完全フリーズ状態になってしまうのであった。

ちなみに、議論の後に何事もなく語り合うことができたというのは私にとってはとても実りのある体験であった。まあもちろんS君がどう思っているかは分かったわけではないのだが、「それはそれ、これはこれ」といった風にスパッと切り替えて誰かと話すのは初めてということもあるし、私も私でさっきまでの情けなさを忘れて話を聞いていられた(こういう時でもそんなに話すわけではないが、別にフリーズはしていない)。何より彼の言うことに大分シンパシーを感じたので一層印象深くなったのかもしれない。

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というわけで、私がどれほど苦しんだのか、何となくわかっていただけたかと思います。ただ、苦しんだなりに得られたものは多かったのです。

こういう長ったらしい文章を書けば書くほど、皆様の読む意欲は削がれていくと確信してはいるのですが、どういうわけか、その傾向に反して、皆様からの意見が欲しくなってしまいます。実はこういう長い文章を書いてしまうのにはいくつか思い当たる節があって、それを明日の記事で紹介しようと考えています。
それはさておき、ご意見いただけましたら嬉しゅうございます(´Д`)ここに書かずに直接メールをよこしていただいたり、直接伝えてもらっても構いません。



Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)
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