2014年01月29日

菅平カワゲラ学実習

今朝は頑張ったが結局6時半起床。昨晩ヘブライ語の課題を片付けておいたのでそこまで窮地に追い詰められたわけではないので、ひとまずブログを書く。

2~3限:昆虫学特講(再履修)
翅の鰓起源説のお話のあと、昆虫の高次系統に関するお話。

授業後いったん帰宅して荷造りをして、町田先生に拾ってもらい菅平へ…

~・~・~

というわけで2月2日の夜まで不在です。
では、動物愛護に対する610の感想をお楽しみください、といいたいところだったのですが・・・

610は色々な思い違いをしていたようです。どういうことかというと、私が気にかかっていたのは動物愛護運動そのものではなくて、動物愛護の名の下に傍若無人な振る舞いをする一部の活動家たちの考えであったり、或いはそういった人たちの考えを批判している人たちがしばしば起こしがちな意見に対する疑問であって、動物愛護については深く考えてはいなかったのでした。

それから、数日たってしまって冷静になると途端に考える気力がなくなるようで、あまり文章を書く意欲が湧きません。よろしくないですねえ。

というわけで、動物愛護のことというよりかは、いくつかのトピックを紹介しておくことにとどめようと思います。今の感じだと、動物愛護について論じようとしても的外れなことしか書けない気がするので…
※普段から的外れなことばかり言っているということは、この際無視してください…

我が家にはイエヒメアリのコロニーがあるようで、彼らとは高頻度で接触します。乾燥している標本を食べに来たり、或いはPCの上を歩いていたりします。昆虫が大好きで、昆虫の研究をしようとしている610は彼女らに慈しみをもって接することができるかというと、とんでもありません。彼女たちは許可なく人の家に住みつき、標本を食い荒らし、PCの隙間に入り込んで故障の原因たり得る恐怖の存在に他なりません。コロニーを見つければ殲滅しますし、PCの上にいるワーカーはつぶします。

果たしてこの610の行動は、動物愛護の精神が欠けている行動なのでしょうか。あるいは、平気で動物の命を奪うことのできる残虐な人間性を示していると言えるのでしょうか。自分が快適に生活するためには動物の命の蹂躙を辞さない心の狭い、というか狂っている人間だと見なせるのでしょうか。

―と書いてみたところで、そもそも自分に何らかの危害を加えてくる動物に対して動物愛護の精神を訴えるということがおかしいような気がしてきました。彼らの命を優先するのだとしたら、部屋で標本をつくるときにはアリが食わないような対策を迫られ、PCはアリの巡回路を避けて設置し、書類の束の下にコロニーを見つけてもそのままにしていかなければなりません。動物の命を大切にしようとすると、自分の生活のクオリティーが低下してしまいます。
屋内性害虫に限ってみると、彼らを動物愛護の対象にしようとするのはあまりに実生活と乖離した理想のようになってしまいます。なので、この手の動物の愛護を訴えても無意味でしょう。動物愛護団体の活動家は、こういうことは自明だから書くまでもないでしょう、などと思わずにコメントをする必要があると思います。それが無いから、いつまでたっても「動物愛護を掲げておきながらゴキブリを殺す矛盾を抱えた存在」などと揶揄されてしまうわけです。
もちろん、そういう揶揄を行う人も自分の指摘の意味を考える必要があるでしょう。害虫を愛護しない活動家を非難する姿勢は、害虫と愛護の齟齬に対する思考を放棄した姿勢と同義だと思います

―しかし、こう解釈すると勝手に庭に入り込んできて糞をする野良猫とか、ゴミをむさぼるカラスとか、漁場を荒らすイルカも同様に殺してよいことになります。規模が違いこそすれ、何らかの危害を被ることには変わりないのですが、しかし鳥とか哺乳類を殺すことは一般に強い偏見を抱かれます。
この認識のずれが動物愛護の問題の本質的な部分だと思うわけですが、おそらくこういうことは賢明な読者の皆さまであれば私よりもずっと早い段階で気付かれていることでしょう。そういうことが分かるようになってから、この場であれこれ書くことにどうしようもない無意味さを感じるようになっているのですが、続けます。

※残念ながら記事のストックが無いので更新できないかもしれません。害獣駆除と動物愛護についてと、ロードキルとか骨格標本・剥製づくりと動物愛護について書きたいですが、時間あるのかなあ…



Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)
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