2013年10月12日

一人で過ごす時間が奪われたとき、610は死を迎える

今朝は8時半過ぎに起床。やたらに室温が高いなあと思ってアメダスを確認すると、昨日より朝の段階で数度高いようだ。これはつくばでも10月の真夏日を観測するのではないかと密かに楽しみにしつつ、論文のレジュメづくりの続きに取り組み、完遂させる。完遂とはいっても、最低限発表に使うのに支障が無いといった程度のもので、推敲を要するものであるがひとまず大きな課題が消えたので気分が楽になる。

論文に見切りをつけてからヘブライ語の予習をする。すると、不思議なことに、文字が読めるではないか!
今までは予習の時に欠かさずヘブライ文字の上に翻字(音読するための補助記号)を振っていたのだが、その必要性が大きく減ったのだ。その上、よく出てくる単語の一部が頭の中に定着したようで、いちいち語彙集を調べていた時間がわずかながら短縮された。これはずいぶん嬉しいことで、昨晩サンスクリットの予習で苦しまされたのとは対照的に、思っていた以上にサクサクと訳していけるのがとても快感であった。

さて気温の方は14:25に30.5℃を観測、つくばも真夏日になってしまった。これは10月の最高気温としては過去4位にランクインする高温で、もちろんペテルブルクから帰ってきた610にとってはおよそ耐えられないものである。昨日は相当風が吹いていたこともあって、虫が入ってこようがゴミが入って来ようが気にしないで窓とベランダに通じるドアを開放していたのだが、今日は恐るべきほどに風が無い。そういうわけで、つくばに来ておそらく初めて10月に冷房を入れてしまったのであった・・・

少しは涼しくなった15時30ころ、サキシママダラとタカチホヘビのエサを求めに外へ出たものの、ポイントでは草刈りがされていたことや陽が届いていないこともあり、何も見つけられずに退散。外でフラフラしていたら突然雲行きが怪しくなり風が吹き出してきたので、にわか雨を懸念してすぐに帰宅したが大丈夫であった。

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さて明日は久しぶりに宝篋山に行きます。前回行ったのが8/14らしいので、実に2カ月ぶりの訪問となります。
今回はクルマバッタの採集と撮影が主な目的ですが、そのために山頂まで行かねばならないかもしれず、面倒に感じています。おそらく平地にもいるはずですが…

http://anond.hatelabo.jp/20131010005142

最奄美大島で人気のある昆虫を含む動植物が条例で採集禁止になった件とか、大学入試の二次試験の方式が大きく変わるだといった話題が最近登場してきましたが、こういうものにコメントを書こうと思ってもなかなか考えがまとまらずにいて、ずいぶん無駄な時間を消費してきました。思うにロシアに行っていた時にはコメントを考えるような頭の使い方をしていなかったので鈍ってしまったのでしょう。

ところが先日、前々から610が考えていたことで、しかもとても共感できる記事を発見したので色々思うことを書いていきます。


610はもともと、街中を歩いているカップルを見て爆発を望むようなことは無くて、特に何も感じないで過ごしていました。その背景には、彼らがこなしている「普通の」恋愛というものが、自分には実行不可能なもののように思えてならない上に、その恋愛はスタンダードでも何でもなくて、まったく従う必要が無いと思っているからです。ディズニーランドに行くこととかクリスマスを一緒に迎えることというのは恋人の存在云々に関わらず、人格的な問題によって達成不能ということはまあ置いておきますが、記事にあるように、用もないのにメールをやり取りするとか、電話をするとか、会うということは610にとって非常に苦しいことです。
それから、私が所属する大学の立地上、しばしば同棲(とまで行かなくても、頻繁に互いの家に出入りすること)が行われているようですが、これも相当きついことです。そりゃあ、610の家には獣の骨とかヘビの皮とかカマドウマの液浸標本とか訳の分からないもので溢れかえってはいますが、それを見られるのがいやなのではなくて、自分の部屋に自分以外の人が(常時)いるということが耐え難いのです。そう、それが最愛の人であったとしても!
※もちろん、私が彼女の家に行くことにも抵抗があります。ちなみに、他人が自分の家にいること/他人の家に自分がいることに不快を覚える感覚は彼女だろうが知人だろうが誰であっても感じるだろうものです。

これが具現化するとどうなるのでしょうか。
610に恋人がいたときに、彼女には610が多大なる一人の時間を持つことを承認してもらわなければなりません。私とディズニーランドに行くことを望んではならず、どうしても行きたいのなら一人で(あるいは友達と)行ってもらうか、あるいはディズニーランドが醸し出す虚構さに想いを馳せ、その場で楽しく過ごせるカップルたちに疑問を抱いてもらうかしてもらわねばなりません。クリスマスにも同様の懐疑の目を養っていただき、この日に一緒に過ごすことが大事でも何でもないことであることを理解してもらわねばなりません。
(610が菅平へ出向くことを見越して)実際に会えるのは数カ月に一度になるのが当たり前、連絡も1カ月程度なくてもへっちゃらでいることが要求されます。しかも会う場所が都会であるときは単なる経由地である可能性が高く、できるだけ人のいない山だとか海辺だとか、そういう所での生き物さがしの随伴を要求されます。

おお、文章に書くと610がいかに傲慢な人間であるか、まったく彼女のことを考えていないかが浮き彫りになりますね!
まあそう思われても仕方がないですがいくらなんでも、彼女の要求を全部否定することは無いでしょう、暴言を吐くのにも訳があります。一般的な「恋愛」の観点が掲げるところの、恋人とは毎日のように連絡をするもの、だとか、クリスマスは一緒に過ごすもの、だとか、こういうものって、恋人たちにとってとっても暴力的なものだと思うのです。
毎日欠かさず連絡するだとか、クリスマスは何が何でも予定を合わせて2人でレストランで過ごすだとか、こういうことは610にとっては「恋人がしなければならない恋人ごっこの儀式」のように映ってしまいます。恋人同士はこういうことをしなければならないという一種の脅迫であり、これができないと恋愛関係が維持できない恐怖の装置、とも言えましょうか。
こういうものが見えてしまうと、普通の「恋愛」の面倒さに辟易とさせられ、関わりたくはないなあと思ってしまうのです。


どうやら、610と似たような考えをする人は決していないわけではないようで、記事にもありますように、存在が確認されています。
こういう考えを持っている人がどんどん増えていくといいのですがね(こういう風に書くと、自分にチャンスが訪れるからだろうという風に曲解する方がいそうですが、そんな意味は寸毫も無くて、こういう恋愛に対する姿勢が間違っているわけでも歪んでいるわけでもないもの、恋人と会わなくてもへっちゃらだという関係があってもいいじゃないか、という意味の希望を述べているのです)。
※ちなみに610は恋愛そのものを否定するつもりはありません。虫を探すだとか、砂浜で貝や骨を拾うだとか、鳥を見るだとかを恋人と一緒に出来るということはとても幸せなことだと思いますが、ご覧のように彼女に対する配慮が欠けているような記述をするということは、普通の「恋愛」がどうこう言う以前に、自分本位でしか物を考えられないという、他人を想うことができないという、人間関係を構築するうえで最低限のラインにすら達してない人格の歪みを表現しているのかもしれません。


Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)
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