2013年07月12日

これ以上生き物を死なせてはいけない

今朝は8時起床。モチベーションが相変わらず足りない…

・キノボリトカゲ全滅…
昨晩、標本製作をする前は生きていたのだが、終わった時にNamaさんと夏休みの処理について話している時に死亡を確認。
南国育ちのキノボリと言えども、文サ館の昼間の暑さには適応できなかったのかもしれない。先週あたりに引き取っておくべきだったのかと思っても後の祭り…

・つまらない授業のレポートは一生懸命やる気になることがあるのと対をなすように、熱中した授業のレポートはやる気が出ない現象について
発生生物学実験のレポートのクオリティが非常に低調で、かなり観察時間を割いたのとは全く対照的である。

・生き物の避難活動
何か動物が死んでから行動に移るというのは、先日の飲酒で死者が出たから勧告を出すのと同レベルに思えてしまってよくないのだが、とにかくこれ以上犠牲を出さないようにするには、部室に24時間利用可能な空調設備を導入するとか、学生生活課と折り合って冷房を新調してもらうといった積極的な改革の他には、そこにいる生き物を安全な場所に移動させる消極的な方法の2つに大別できよう。
そこでイモリ、ヘビ、ゲンゴロウ、カメを自室へ移動。

・新たな家族の加入
発生生物学実験が完全に終焉を迎えるため、今まで観察を続けていたイモリも処分しなくてはならない。幼生は同じ班員のT君のもとへ、生体は610のもとへやってくることになり、我が家には新たなメスのイモリが2匹仲間入りしたのであった。

・ザリガニ釣りのために帰省
せっかく部屋に連れてきた生き物たちのためにクーラーをつけっぱなしにする手もあるのだが、それを実行する前にクーラーをつけなくても何とかなる方法を模索しておきたい。610の部屋はトイレと物置が別室になっていて、ここはコンクリート製の棺桶のような感じになっていて春先はかなりひんやりとしていたものだった。今となっては大して涼しくないのだが、明るいところに放っておくよりは幾分涼しかろうと、カエル、イモリ、ヘビを納棺。カメは明るいところに置いておきたいので棺に納めることはしなかったが、直射日光が当たるのも危険そうなので日の当たらない涼しそうな所へ移動。
モリバッタ、ハネナシコロギス、ゲンゴロウたち、ノコギリクワガタについては帰省ついでに持ち帰ることにする。

さて今回はなんとなくTXに乗りたい気分になった。手元に回数券があるから安く帰れる! と思っていたのだが、残念なことにそれが土休日専用だと気付くのは改札に撥ね退けられるのを待たねばならなかった。

・ヒバカリの復縁
昨晩rv君からヒバカリ返納の依頼を受けた。どうやら脱走してしまい、生物室で授業があるときに発見され、顧問の先生に飼育禁止令が出されてしまったらしい。やどけんでは逃げ出した与那国臭蛇が帰らぬ蛇となってしまった前科があることもあり、個人的には見つかっただけ良かったなあなどと思ってしまうのだが、蛇の飼育の難しさを思い知らされることにもなった。
この先なかなかじっとしていられない夏の予定を考慮するときちんと世話できるかは不透明であるが、キノボリトカゲの教訓を生かし、飼育者の不注意で死なせるようなことが無いように努めなければならない。

・都心のど真ん中で背広を背負う人を見て思ったこと
帰り際、何とも暑そうな表情を浮かべて銀座線に乗り込んできたおじさんを目撃した。ビシッと背広を着ていて、これはたまらんだろうなあと思う。610とて盛夏でも長袖を着ていることがあるので、この上にもう一枚羽織って行動するのが如何に生命活動に支障をきたす者か想像に難くないのだが、これには610なりの意味があるものである。半袖だけで過ごしていると、例えば冷房がギンギンに効いている部屋で長時間過ごすときに冷えてしまうし、あるいは生き物さがしをしている時に不必要に蚊に刺されたりするし、磯で観察をしている時は岩で創傷を創成してしまいかねない。
背広を着ているおじさんにも、それを着ることには意味があって、それが夏の暑さに苦しむデメリットを考慮しても有益であるという判断があれば何にも文句を言えないが、そうでないのなら―例えば、ビジネスマンたるものおしなべて背広を羽織るべしというような、個人の事情よりも全体の調和を優先するような幻想にとらわれているのなら―もうちょっと涼しそうな格好をすればいいのになあ・・・と思わずにはいられないのである。
まったく、こう思うことがどれほど傲慢でおせっかいであるのか自分でもよく分かるのだが、自分の体調よりも会社の利益が大事であるように見えてしまって、それは本当に従わなければいけないものかと疑問を抱いてしまうのである。こう思う610は、きっとこのおじさんのような職業に就くことはできないだろうなあ・・・

・第一陣の搬入
さて実家のすぐ近くまでたどり着いたのはいいが、鍵を忘れたことが発覚。家には誰もいないようで中に入れず、この暑さの中溶けてしまいたくなるのだが、母親が戻ってくるまでに明日の食料と飼育容器等々を買いに行くことにする。去年は水槽から何からすべてつくばから持って来て、そしてつくばへ持って帰っていたのだが、これは結構しんどいのである。多少お金が飛ぶのは仕方がないが、実家でも最低限の飼育環境を整えておくことにデメリットは無かろう、ということで投資をする覚悟ができたのであった。ただ、今回は100均で事足りるレベルの生き物であったから

・入学前は昆虫の生態学、入学してしばらくしてから昆虫の分類学、そして今は何があったか、哺乳類の分類・形態学…
今回は帰り際に、中古で購入した『哺乳類の生物学(2) 形態』を読み進めていたのだが、これがもうものすごくワクワクする。春ABモジュールの解剖学で学んだヒトの骨とか筋肉に関する知識が大体哺乳類のそれと同じなことも相乗効果を生んでいるらしい。「ああ、シカ君は爪先立ちで歩いているのだなあ」とか「ヒトの水中起源説についても、尤もらしい証拠があるのだなあ」とか「この前作ったウサギの骨格標本、よく分からなくて捨ててしまったのは篩骨や蝶形骨だったんだなあ」などなど、楽しくてたまらない。
この楽しさとか、分類編で読んだ生物地理学的研究の例などを想うと、哺乳類の研究にものすごい魅力を感じてしまうのである。これは少なくとも2012年までは考えられなかった展開であり、そのすべての元凶が特定できるのもまた不思議なことである。とにかく、大学院を京都で迎えることについて真剣に考える必要があるかもしれない程度にアツい分野である。

・熱中症で倒れた球児に対する野球部の監督のコメントについて
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20130712-1155943.html
この記事の中における、監督の生徒に対するコメントが相当辛辣に思えてならない。何をやっているのかと仰っているが、倒れた球児は生命活動の危機を発しているように私には思える。それを呆れ顔で切り捨てるのは人道に背いているような印象を抱かせるのだが、ここで気を付けるべきなのは、球児の熱中症に関して軽視しているのは監督だけではなく記事の執筆者も該当していることだ。
これもまた、球児が死ぬようなことがあっても根本的な問題の解決には至らないのだろうなあ…飲酒の時と同じように、たくさんの球児が熱中症で倒れ、その中の何人かは死んでしまって新聞沙汰になるのだろう。該当する高校の監督はやめさせられて、野球部は活動停止に追い込まれ、それだけである。そして、あくる年の夏、同じことが繰り返されるのである・・・
熱中症対策を猛省する生徒が対策すべき最良の手段として、しばしば水分と塩分を調節して、生命活動に支障をきたす気候条件で部活を行い通すことであるのはなぜなのか。ここで取るべき手段は、暑いときに暑いところで部活動を行わないことであってはいけないのか。

~・~・~

さて明日は博物館実習3日目。明日のメインはザリガニ釣りのイベントですが、果たして参加できるのかなあ・・・

・ヒグマの駆除とその苦情について
http://matome.naver.jp/odai/2133537843331677901
少しばかり生き物について知っている人たちとか、熊の怖さが分かっている人はしばしば苦情が現実離れしていることに関して批判を展開しがちですが、的外れ(に思える)苦情が寄せられてしまうことには何かしらの原因があるわけで、その原因をすべて苦情を述べた人に負わせるのは物を知っている人たちの傲慢と思えないこともありません。知識ある人が無知な人よりえらいとか、相対的に上にあるような関係が少しでも感じ取れる限り、双方にとって建設的な未来は想像されないことでしょう。
知識のある人は無知な人を馬鹿にしないで、無知のまま苦情を言い放つに至った過程を考えなければいけないし、無知な人はヒグマが人間にとって如何に危険であるのか学ばなければ、そして「かわいそう」という苦情がなぜ批判されるものなのか考えなければいけません。しかしながら、双方ともこういうプロセスを面倒がってスキップしてしまうから、溝がいつまでもふさがらないのです。

この論争は、おそらく動物保護団体のスローガンとか実践活動に対する生き物好きの人たちの反応とか批判と同じ問題を反映していると思われます。かつてtwitter上で盛り上がったことがあるのですが、私の知っている人は大抵動物保護団体に対して過激な発言を浴びせかける段階でくすぶっていたように思えました。
どちらかといえば身内である彼らに箴言をかますのはいやな気もするのですが、敢えて手厳しいコメントをしてみます。
仮に、日本国民という母集団を想定して生物学に関する教養の偏差値を取ってみると、我々学類生レベルであってもかなり上位にランクインすることになるでしょう。そういう人たちには教養に下支えされた画期的な意見が求められるでしょうし、あるいは発言をしたのなら、内容の如何にかかわらず、偏差値の下の方の人たちに大きな影響を与えます。それだのに、先のtwitter上での発言はあまりに低レベルなものに感じています(こう偉そうに書いている610は、当時は違和感を感じていたものの、ここまで考えは及んでいなかったことを付記しておきます)。あまり考えの練られていない、口調の激しい意見を表明すると、しばしばそれを帰納的に誤解されて、大学の生物学教育の質とか、生物学そのもののポテンシャルについて、誤解を招くことにつながります。

生物学類生の2,3年生には春Cモジュールの専門科目の授業は無いと言っても過言ではない状態にあります。簡単に言えば、夏休みが3か月あるようなものです。
これを、自由に遊べる、あるいはお金を稼げる貴重な時間だと見なすのはなんと勿体ないことでしょう。専門科目の勉強をしたり、あるいは生物学と日常世界の接点で生じる問題について、生物学を志す側から考える、ということを、大事な選択肢の一つとして、実行はしなくても、せめて考慮すべきことだと思います。


Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)
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