2011年11月18日

愛護ってなんですか?

残念なことに6時半起床。3時に目が覚めたが寒くて布団から出たくなかったために招かれた惨事。
とりあえずはPEの対策…

1限:PE
朝は眠気が引かず勉強できなかったせいで、いくつか設問に答えられない。ただ今学期はすでに中間テストもやっているしそこまで成績に響くこともないということであまり深く考えないことにする。少しだけ早く終わったため図書館に行って『千蟲譜』を借りてくる。これは江戸時代の昆虫図鑑のようなもので、当時の人々の虫(をはじめとする身近な生き物)に対する目線がよく分かるはずだが、610には筆文字や漢文(白文)の読解ができないため得られる情報は限られてしまうのが残念なところだ。


マイマイカブリだと思うが名前は読めない。池袋で採集されたらしいが、今はいないだろうなあ…



筆でトンボの翅脈を書くのはいかにも大変そうだ。



当時はこういった生き物もまとめて「蟲」扱いされていたのだろう。



これはイモリ?



昔はカッパも日本にいたのです(´_ゝ`)
※ちなみに千蟲譜はweb上でも公開されていて、フルカラーで閲覧可能です。興味があったらこちらへ行ってみてください。

2~3限:なし
土日の天気が悪いということで、お菓子の大量消費が予測されるので今日もまた買出し。カレーに使える材料が一式安く売っていたのでこちらも買ってしまうが、流石に2週連続ハヤシライスを食べる気もしないのでルー自体は3学期以降に使うことにしよう。
昼食後は久々にニコニコ動画に入り浸る。

4~6限:基礎生物学実験
マウスの糖負荷を調べる。生物チャレンジの時の「ミトコンドリアっ!」の印象が強く、最初っからレポートもテキトーにやってよいなど仰っていたのだが実験自体は適当に行うものであって、今回は答えは分かっているがそのプロセスに沿うようなデータを得るのが難しいとのこと。
マウスを軍手の中にしまい、しっぽだけ出してそこに針を刺して採血し、血糖値を測る。610はこの採血が下手くそで2回やる機会があったがいずれもうまく血管に針を刺せない。そして我々の班のデータは、標準的なグラフの時間を50%に縮小したような具合になった。さてこれは失敗なのだろうか。
採血の待ち時間に頭の体操と題して、グラフの解釈の仕方や採血の「時間」を恣意的に決定してこの実験が成り立っていることに気を付けてほしいとの説明を受ける。何と言えばいいのだろうか、「時間」の設定にしろ、こういった些細なこと1つで実験の値にも差が出るということを瞬時に気が付けない頭の回転の悪さというか、発想の乏しさ、それに対して割合すらっと出てくる教科書的知識との乖離具合のひどさを眼前にして、将来「研究」ができるのだろうかと考えさせられてしまう。3,4クラはおとなしいようなので、実はそういうことが分かっていながら発言しない人も中にはいたのかもしれないが、周りの人がみな気づいていたのだとしたらこれは勉強ができるできないという次元に収まらない、もっと根本的な出遅れではなかろうか。

※マウスを安楽死させたときに考えたことを追記に書いておきます。

~・~・~

10月後半から、毎週のように週末の天気が悪いような気がします。今週もその後多分に漏れず、明日の夜はひどい雨になるそうです。テスト勉強しろってことでしょうか。レポートも書かないといけないな…

実験終了後にマウスを安楽死する係になり、手順に従って右手で首根っこを押さえ、左手でしっぽを思い切って引っ張る。パキパキと背骨が外れるような音が聞こえたと同時にマウスの躍動感はスーッと消えうせ、一瞬でのびてしまった。この時、命の尊さがどうとか生き物ともっと真剣に向き合っていこうといった気持ちは湧くことはない。だからとってマウスを投げつけたり踏み潰して殺すことはできないが、少なくとも罪悪感のような後に引く思いが無い、もしくはきわめて希薄なまま、機械的に任務を遂行したとには変わりはない。
これは普段から昆虫を殺すことに慣れていたり、あるいは例の哲学者の本の影響もあるかもしれないが、実験や標本制作のために生き物を殺さねばならない時には、その生き物がかわいそうという気持ちは芽生えないし、そう思うことが正しいとも思えず、むしろそう思うべきだという大多数の人は私のような生命観を持つ人間を排除したいのではないかと斜に構えてしまう。傲慢なことを承知で極言すれば、610が生きていくための必要死であるともいえるかもしれない。生きていくためにお米やイナゴ、鯨を食べているときと同様の気持ちで実験動物や虫たちと向き合っているような気がするが、果たしてこれは「間違った」接し方なのだろうか。
ただ、これが飼育してしまうと話は別になり、たとえ標本作製のためであってもつくば3か月目のモリバッタを毒ビンに放り込むことには抵抗を覚えるし、六郷にいる8才のダメ犬「そら」で腎臓の実験を行うこともできない。情が移ると手が動かなくなる点においてはマジョリティな思考を持っていると思うが、少なくとも「愛護」についてまともな返答ができなかった原因として、生き物の命が尊いものだと感じていないことがあることは否めない。もっとも、私には人を「尊敬」する方法が分からない時点で、同じような気持ちを生き物に対しても抱けないのかもしれない。


Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)
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