2011年10月17日

店員をしている娘のうち10人中9人は破滅する

久々の3時起きを達成、各種課題をこなす。
6時前に渋柿狩りに出発。今干しているものは残念なことにカビてしまっているので今度はもう少し予防策にも精を出さないといけない。それから椎の実拾い。土曜日に風が吹いたこともあって落ちてはいるのだがまだまだ数は少ない。1時間ほどで作業を終え、水洗いをして陰干し。椎の実は炒ればおしまいだが、もう少しストックを貯めておこうかな。干し柿作りは早起きの口実に採っておこう。
ちなみにカビかけの干し柿の方はまだ収穫目安とされる2週間に至ってはいないのだが、一つ味見をしてみたところ充分おいしくなっていた。カビが侵食していない部分、要するに外側を食べなければ特に問題がなさそうなので、このまま干すのを継続させよう。カビくらいで捨てるなんてもったいない!

1限:草原
草原の水門地形について。このところこの授業に対する意欲がガタ落ちしており、今回もだいぶ長い間寝てしまって話の内容がさっぱり分からなくなる。

2限:身体の文化とサイエンスⅡ
女のセクシュアリティの統御について。売春婦の定義としていくつかあるうち、「病的存在」の例において、先天的に同性愛者なので生まれつき男性との性交渉に無頓着なため、かえって売春の道に入るのだというものがあったようだが、そういう性的嗜好は一般的なものなのだろうか? 私は女性でない上に同性愛者でもないのでバイセクシュアルな発想に乏しいのだが、同性愛者は異性との性交渉に無頓着でいられるのだろうか? 売春婦になるというよりはレズに走る気がするのだがどうだろう。男性との性交渉を「商品」として割り切れるようなコンセンサスが19世紀後半のイギリスに存在していたのであればこの言説も正当性を得られると思うのだが、詳しいことは自分で勉強してみよう。
それにしてもどうして610はこういう話題に興味をそそられるのだろうか。

3限:生態学概論
動物の社会行動について。本能という言葉は1950年代までの動物行動学の主流であって現在はとっくにひっくり返されていること、言い換えれば「同じ種内で殺し合いをする動物は人間だけである!」という主張が今は間違っていることなどそこに関連して「草食系」「肉食系」でくくられる人間の性質の逆転についてもを示唆されるので非常に興味ぶかく思う。
下線を引いてある部分の言葉をもっともらしく振りかざした文章は嫌いなのだが、生物専攻の身である以上はもっとシニカルに反応できるだけの知見を得たいと感じられる。生態方面に進むか分からないが、来年は動物生態学の授業を取って損はないだろう。

4限:微積レポートを出そうと提出場所(7階)まで行ったのは良いが、ボックスの直前でレポートをもってき忘れたことが発覚。情けないながらも宿舎へ戻らざるを得ない。
その後の時間つぶしとして『ソロモンの指輪』を借りようと図書館へ行ったのは良いがここには置いていないという。疑問に感じつつも金曜に買った『悪いのは私じゃない症候群』を読み始める。先ほど『「感動」禁止!「涙」を消費する人びと』を読み終えたのだが、これはワールドカップなどで「感動をありがとう!」といって涙する人びとに対して筆者が抱いた疑念が出発点になっているのだが、確かに610にも似たような気持ちはある。大体サッカー自体に興味が無いのだが、例えばなでしこジャパンが優勝したことはそれほど誇らしいことなのだろうか? 大勢の若者が歓喜の輪に酔いしれている映像などを見て違和感を感じてばかりなのだが、610にはあれほど我を忘れてまでエキサイトすることはできない。そしてその結果に対してまったく「感動」する気持ちが湧いてこない。

5限:Introduction to Biology 1
Sketcing out の返却。目に見えるgrammatical mistakesが無かったようで一安心なのだが、先生のコメントが読めない! あまりに近視眼的かもしれないが、英米人の文字や描図に対する感覚は日本のそれとはあまりにかけ離れているような気がするのだ。読ませる気が無い文字というのはどの国でも見られると思うが、教養の高さに全くそぐわないかのようでいて、ビックリするほどたどたどしい。610がネイティブの筆記を見慣れていないだけの可能性が高いのだが、書道という術の影響をほんのわずかながらも受けている者としては非常に不思議だ。
細胞骨格について話されたが、この辺りはきちんと勉強していないから日本語でもう一度じっくり復習する必要を感じる。

6限:みんなでつくろうつくばアクションプロジェクト
グループが決まる。私の所属する班にはほかに6名いたのだが、何と言えばいいのだろうか、610との間には見えないようではっきりわかる線が引かれていることは間違いないだろう。それはいつものことだが今日は特に居心地の悪さを強く感じてしまう。いささか暴論になってしまうのを承知で書くが、場の空気を壊すようなことをしないように慎重そうで、サッカーのワールドカップも欠かさず見ていそうで、コンビニ弁当を買うことにも抵抗はなさそうで、トレンドに見合った言葉づかいを臆することなく使っていそうで、好きなアイドルユニット・タレントがいそうで、もちろん飲酒が好きそうな「今どきの若者」だろうなあとうかがい知ることができるのだが、この人たちの素性を詳しく知りたい気もしないし、自分から問いかける気も起こらない。
毎回この授業に臨むと似たようなことを感じるのだが、実をいうとここにうまく書けない複雑な思いがもっともっと煮えたぎっては消えていく。大したことをしゃべったり交流しているわけではないのに、自分がいかに浮世離れしているかが、あるいは似たようなプロパティを持つ人がいないことが直感的に分かってしまうのである。何と言うか、「はぶられないよう」誰かとつながっていたい、「ぼっち」はいやだという無意識の願望が透けて見えるようでもある。そんな空気が嫌なのか知らないが、とにかくこの授業での610が放つ負のオーラは他の授業を逸脱しているように感じる。先に書いたように居心地が悪いのだが、恐らくこういう経験はこうでもしないと得られないと思うので、残りの授業も無理に参加しようと意気込んではいるが…


~・~・~

明日は最後の学園祭会議。これが終わったらすべての書類を捨てる予定です。
それからたびてつミーティング。今回は早く終わってほしい…

質問をさせてください。引用について、読者の皆様はどう思われているのでしょう。「いっぺんに全部掲載するのが良いのか、それとも毎日1~数個ずつ取り上げるのが良いのか」気になります。お答えいただけると嬉しいです。

いくらブランドをもって「ここち良い」モノに囲まれていようと、それはモノで囲まれた虚ろな自分がいるだけなのだ。

そして、歴史性の欠如したモノだけの世界からは、結局は影のように希薄な人間しか生まれないのである。

 いずれにしても、ここ数十年の若者言葉の傾向は、やたらにシンプルかつ数少なくなったことである。ついでに言えば、気分もできるだけ単純にであり、多様ではなくなってきている。
 ところで、こうした言葉は、すべてが感情を表現する言葉なのだが、聞くたびにつきまとう疑問がある。ホントにそんな風に「激しく感動!」しているのかということである。

たとえば、言葉の激しさに比べて、どうにも空虚な後味しか残らないのはなぜか。それらが内面から発せられるのではなく、「ノリ」を通じて、みんなのいる「場」での居場所を見つけるためだけのもの。いわば参加するための入場チケットであり、その場だけの「消えもの」であるがゆえに、どうしても嘘くささ(=欺瞞性)を身にまとってしまうからであろう。

 たしかに、人びとは、ミッキーやキティなどのキャラクターグッズを買うことで「かわいらしさ」を所有したと感じているだろう。「かわいらしさ」を求めて、人びとはグッズを買い、「かわいらしさ」を所有することで、みんなと同じ「悦び」を享受し、あるいは、「かわいらしさ」を身にまとうことで、自らを差異化しようとしている。
 しかし、それはほんとうに「かわいらしさ」を手に入れたことになるのだろうか。所有するという行為は、結局のところ「かわいらしさ」という記号を消費したのに過ぎないのであって、「かわいらしさ」という感情やそこからうける感動というものは、別のところにあるのではないか。

「口出ししないで」という言い方には、「他社とは関係ない」というところにアイデンティティをおこうとする意識がある。けっして、自己に内実があるのではない。他者との差異化を「関係ない」という遮断でしか表現できない、内実の貧しさがそこにある。
 そこには、他者への干渉の極度なまでの懼れと、それが反転した自己保全への逃避しか存在しない。

自分だけ、その「場」で埋没するのを、いまどきの若者はひどく恐れる。みんなが笑うところでは、速攻で笑い、みんなで怒るところでは、ダッシュで怒る。仲間からはぐれないよう、オレだけヘンじゃないよねとふるまっている。疲れるだろうな……。

 みんなしてベストセラーに涙するのもどうかと思われるし、「韓流」が流行っているからといって、ツアーを組んでロケ地に出かけるのも、どうも芸がなさすぎるではないか。
 少なくとも大量に安売りされるような感動や涙、勇気は買わないように。せめて、この時代の空虚な無自覚さを切り裂くには、そんな迎合という囲みから脱出する必要がある。

「ノリ」と「慣れ」のない610がブログ上で「w」を駆使する日は来ることはないでしょう・・・


Posted by Impulse610 at 18:10│Comments(0)
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