2014年04月29日

610,23にして迷う

さて、私が自分の誕生日を予告したのは今回がおそらく初めてである。なぜ誕生日を強調したのかというと、読者の皆様から祝福されたいからではなく、むしろ逆である。私は自分の誕生日を祝福されたくないのである。

そもそも私は誰かの誕生日をなぜ祝うのか、根本的なところで理解をしていないのである。誰かが産まれるということと、それがめでたいこと、祝福されるべきであることとのリンクができない。別にここで生物学的原理に立ち戻って「生物は自己の子孫を残すことがその使命であり、ヒトとてそれは同じ。だからヒトが産まれることは生物としての必然であり、祝福されるべきことではない」などと教義をぶつつもりもなく、生物系の学生だからといって、生物学的に誕生日を祝うのはおかしいなどとも考えていないし、むしろそんなことは思い至らず、生物学の学徒としては失格の部類に入ろう。

いずれにせよ、誰かに「誕生日おめでとう」と言われたとき、形式的に「ありがとう」とは答えることができるかもしれないが、本心としてはそう言われても嬉しくなれないしありがたくも思えない。ただただ、この人は私の誕生日をいったいなんだと思い、どのように捉えているのかという疑問だけが残る。

※菅平の清々しい空気に触れ、610のねじれた考えは真直ぐに戻りつつある。なので、「誕生日を祝い感謝するゲームには飽きた」などという考え方が真っ先に思い浮かばなくなった。


ひとまず誕生日だからそれを例に出したが、もう少し事態は深刻で、610は誰かに祝福されることがどうも苦手というか、素直に受け入れられないというか、拒絶ほど強くはないが、処理不能な案件の様である。先日もやどけんの方で送別会を開いてもらったものだが、Yさんから立案を伺った時にも、何でそんなことするの!?とまではいかなかったが、そんなことしなくてもいいのに…と思ってしまった。彼女は610のキチガイっぷりを知っているのでまたなんか言っているよ、くらいにあしらっていたように思うのだが、一般的には善意を受け入れられないと申し立てた人は人格が歪んでいると思われてしまうだろう。
一昨日の記事にリンクさせると、プラスの感情を投げかけられると動揺してしまう。私に必要なのは自分の価値を高めるプラスの評価ではなく、その逆のマイナスの評価と、それとセットになった建設的な意見である。何人も私を讃えるようなことがあってはならない。それは全て私のこころを突き動かすことなく、ただ左から右へと通り過ぎていくだけである・・・

冗談みたいに思われそうだが、現在の610の心境をまあまあの精度で表しているつもりではある。

~・~・~

ちょっと逸れてしまいましたが、誕生日の話題に戻すと、やっぱり、誕生日を祝われることは嬉しいことなのでしょうかね。もし私に「誕生日おめでとう」といいたくなった方がいましたら、その代りに、誕生日を祝われることについてどう思うか教えて頂けると幸いです。

ちなみに610の理想はこんな感じです:

誰か「今日誕生日なんですか?」
610「ええ。」
誰か「そうですか。ところで・・・」
(誕生日の話題終了。そのまま会話も終了するか、別の話題に移る)  


Posted by Impulse610 at 06:10Comments(4)