2013年12月22日

冬至を体験するアキアカネ

今朝は8時15分頃起床。例によって宝篋山へ行くわけだが、その前に610の大学生活の根幹を揺るがす大胆な改革に打って出た。今まで朝食のメニューは納豆ごはんと赤だしの味噌汁(具材は豆腐)で固定されていたのだが、なんと納豆を放棄し、卵かけごはんに切り替えたのだ。理由は単純、納豆を食べるまでの準備、食べるときの気遣いに限界を感じたからである。
610は今まで毎日のように納豆を食べていたのだから、それを嫌っていないことは自明である。しかしながら、納豆のにおいが手につくことや、ねばねばしたものが箸や茶碗につくことが非常に苦手で、ほんの少しでもついている場合は水で洗い流さないと気が済まないのだ。なので毎回のように食事中に席を立つ必要が出てくるし、ご飯の上に乗った納豆が絶対に茶碗につかないよう細心の注意を払ってご飯を解体するのにもかかわらず、最後の方で手詰まりを迎えてしまったことは果たして何度あったことだろう。
今までは―大体今年の11月くらいまでは―このことについてあまり悩み苦しむこともなくいつものルーチンで処理できていたはずなのだが、一度気になりだすとなぜこんな面倒なことをしてまで納豆を食べ続ける必要があるのかが分からなくなった。そこで、納豆のストックが切れたのを見計らって卵に切り替えたのだ。どうでもいいが、卵を買ったのはたぶん2年3か月ぶり位のことだ。

で、なぜ卵なのかと問われると明確な回答ができない。梅干しでもサケの切り身でもよかったはずだし、食パンとかもちとかシリアルだって選択肢として十分あり得るもののはずである。ただ、今まで納豆を食べ続けていたことを考えると、どうも「ご飯に何かをかける」「混ぜる」「単体でも食べられるし、トッピングも可能」「かならず捨てるべき部分が出てくる」という類似性に魅かれたことは否めない。

さて宝篋山へ向かう。


今日は12月22日、冬至を迎え冬のど真ん中に差し掛かっているはずなのだが・・・何か場違いな生き物が日光浴をしているではないか・・・


驚くべきことに、先週と同じ場所で再びアキアカネと遭遇することができた。この寒い中、いったい彼は生き残っているのか。不思議に思うかもしれないが、それなりのタネが無いわけではない。つくばは冬になると西~北の風が卓越して、これは宿舎から宝篋山までの移動の際の試練になるわけだが、アキアカネが生き残っている場所ではうまい具合にこの風が吹き込まないような構造をしている。西から北にかけてぐるりと藪や樹木が囲っており、田んぼのそばということもあり開けていて日当たりも良好。2月半ばまでトノサマバッタが生き残っていたどこかの土手とは遮るものが違うものの、越冬できない昆虫の生存期間を引き延ばすには、風を如何にして吹き込ませないかが大事になってくるのだろう。

ちなみにこの場所、初めて宝篋山に足を踏み入れた翌日には既に到達していた場所で、それから何度も歩いた場所であるにもかかわらず、この発見に至るまでに2年8か月、100回近いアプローチを要しているわけである。まあ今までの12月の訪問回数が少なすぎたことも発見の遅れにつながったわけだが、ここで言いたいのは、経験豊富な人間が沢山観察しなければ到達しない境地がある、ということではない。そうではなくて、610のように沢山観察すれば見えてくるものが違ってくるよ、などと後輩を洗脳しようとする人間でも見えてこないものがたくさんあるということだ。

ちょっと脱線するが、610のように「宝篋山100回も行ってる自分ってすごいでしょ!」みたいなアピールをしたり「沢山観察しなきゃ生き物なんて見えてこないよ」みたいなホラを吹いている人間を見て「そっか、たまにしか観察に行かない自分だと観察してもつまらないだろうなあ」とか「生き物を知らなきゃ観察する資格はないのかなあ」などと思ってはいけない! それは大変な過ちである! 経験とか知識というものに騙されて、それが足りないことで「よい」自然観察ができないと思い込み、無駄に自然観察に対するハードルを上げてしまっている。
大事なのは、610のような器の小さくて、自分の知識とか経験しか誇れるものの無いようなろくでなしの人間というものは、往々として自分が体験したごくわずかな世界、それに基づく世界観が絶対唯一のように思っていること、そしてその小さな偏見に満ちた世界観をさぞかし生き物の本質だとか自然観察の奥義であるかのごとく披歴しているということ、そして自然観察をするとき、生き物を前にして人の経験とか知識を比べあうことには意味がないことに気が付くことだ。
だから、知識や経験が足りないことは自然観察をするに当たり何のデメリットにならないことをここでは主張したい。なんだか、このブログ唯一のおすすめ記事で書いたことと真っ向から対立しているような気がしてならないのだが…その点で浮き彫りになった矛盾点があったらぜひ指摘していただきたい。


先週ある場所で下草となっていたササや余計な広葉樹の枝を刈り払っていたのだが、枝の方は山にして置いてあった。ゼフィルスの採卵にはうってつけなのだろうなと思いつつ、少し採卵みたいなことをしてみたのだが卵は見つからない。そもそも何の卵があるのかも知らないし、卵を見ても判別ができない。610が見つけられるのはヤマカマスかヤママユのまゆだけだ。このまゆはきちんと孔が開いていたので無事に成虫が飛び立っていったのだろう。
さて鳥見の方だが、先週同様水鳥は見つからず、他の鳥自体もあまり見られなかった(鳴き声は結構聞こえた)。ただ1羽見慣れぬものを見つけた。モズよりちょっと大きくて、頭はモズのようにオレンジではなく黒く、腹は灰色っぽくて・・・後の特徴はよく覚えていない。そうだ、ものすごく挙動不審で絶えず不自然な姿勢できょろきょろしていた。なんだったのかなあ…

帰宅後、ホームセンターで明日の解剖パーティーのための買出しをする。剥製づくりをする可能性があるので、それに必要となるものを探しに行ったのだが、筆粉はともかくとして(代用品のおがくずは容易に入手)、木毛が売っていなかった。さすがに明日の段階で縫付ができるとは思えないし、中の詰め物なぞ色々なもので代用できるはずだ。というより、果たして剥製に取り掛かることはできるのだろうか…

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ということで、明日は第2弾解剖パーティーが挙行されます。イタチの解剖&骨格標本作り、夏に埋めたハクビシンの発掘及び骨洗い、そしてカラスの剥製に挑戦したり、魚の骨格標本作りをしてみたりします。剥製は経験がないのできっと失敗するでしょうが、トリをさばくのは初めてなので、ひとまずいじり方を把握できたらいいなあと思います。  


Posted by Impulse610 at 18:10Comments(2)